だんだん
『'''だんだん'''』は、2008年9月29日から2009年3月28日まで放送された第79作目の連続テレビ小説。NHK大阪放送局制作で、大阪放送局制作の作品としては32作目。全150回。脚本は森脇京子、音楽は村松崇継。
概要
主な舞台は島根県及び京都府。中でも島根県は、連続テレビ小説の主な舞台になるのは今回が初めて。テーマは、「'''愛'''」、「'''産んでくれてありがとう'''」、「'''育ててくれてありがとう'''」、「'''あなたに出会えてありがとう'''」。そんな「ありがとう」という感謝の意味を持つ出雲弁の「だんだん」がタイトルにつけられた。
生まれてすぐに離れ離れとなり、島根県と京都府でそれぞれ育ったヒロインの双子を三倉茉奈・三倉佳奈が演じる。2人は、1996年度下半期に『ふたりっ子』で、朝ドラのヒロインの子供時代を演じた経験があり、そうした俳優が再度別作品でのヒロインを演じるのは史上初である。
撮影期間は、2008年5月26日から2009年2月20日(総集編用の追加撮影は含まず)。
※作品内容については、朝ドラ情報、公式サイト、『NHKウイークリーステラ』誌上等での記事のほか、注釈・出典で示した新聞記事などに基づく。次のエントリ
あらすじ
三倉茉奈演じる松江の'''田島めぐみ'''が、京都へ進学したことをきっかけに、三倉佳奈演じる'''一条のぞみ'''と一緒に住むことになる。そこから2人でデュオ歌手としての道を歩んでいきながら、それぞれの一歩を踏み出す。次のエントリ主人公
1982年8月16日生まれ。物語開始の2000年7月時点で、松江の高校の3年生。1997年ごろから幼なじみの康太と俊と3人組バンド「シジミジル」を組んで路上ライブを行うほど歌が大好きで、将来は東京へ行き、「シジミジル」でプロのミュージシャンになるのを夢見ていた。しかし、2学期になってまもなく、現実を考えて、高校卒業後は地元の看護学校へ進学することに決めた。それから1か月後の10月29日、「シジミジル」の解散ライブで行った地元の老人ホーム「ひなげし」で、介護の素晴らしさを知って、進路を変更。
2001年4月、介護福祉士になるために、大学に進学(桜咲く)。それらに伴い、入学前の3月の春休みから、のぞみも住んでいる祇園の置屋兼お茶屋「花むら」に下宿する。同じ年の5月26日、弟の健太郎が歌声が聴きたいからと松江から持ってきたギターと、京都のライブハウス「ワイルドダック」でステージに立ってパフォーマンスをするのぞみと康太と俊の姿を見て、半年前に止めていた音楽に再び触れることとなる。それから2日後には、老人ホーム「琥珀苑」での介護のボランティア活動も始める。その年の8月16日、ちょうど1年前の松江城内での「シジミジル」のライブで、数時間前に出雲大社で偶然顔を合わせたばかりののぞみと一緒に歌った「赤いスイートピー」を聴いて、この2人を歌手としてデビューさせようとあらゆる手を使って口説いてきた大阪の芸能事務所のマネージャーの石橋が福岡へ転勤になると聞いて、石橋への想いに気づく。数日後、その日のうちに福岡に発つ石橋が最後に寄った「ワイルドダック」で、19歳の誕生日プレゼントにと石橋がくれたオルゴールに使われていた「M」をギターで弾き語り。途中から参加したのぞみと素晴らしいハーモニーをきかせたことで、石橋の福岡行きを思いとどまらせた。
2002年4月30日、大学生を続けながら、のぞみ、康太、俊と一緒に「シジミジル」でプロの歌手になる決意をする。このとき、「花むら」を出て、のぞみと一緒に大阪のマンションで暮らすようになる。
その後、念願の歌手デビューを果たす。最初、4人による「SJ」(「シジミジル」の略称)として関西圏で活動し、次に、のぞみとの双子デュオ「Sweet Juno(スイートジュノ)」として全国に名を轟かせ、一世を風靡した。しかし「琥珀苑」での介護のボランティア活動との両立ができなくなったことや、所属事務所の命令による「SJ」の強制解散、カバー曲中心の活動に疑問を感じて、2003年10月19日、「Sweet Juno(スイートジュノ)」の初めてのコンサートの最後に突如解散を宣言。2004年3月からは、再び「花むら」に下宿する日々を送る。
そんな中、同年8月にボランティア先で介護と看護の境界線を知ったことで、大学卒業後は松江で介護福祉士として働きながら、看護師の資格も取る決意を固める。しかし、3年後の秋、無理がたたって体調を崩し、看護師の資格取得に専念。翌年の2008年3月、無事に看護学校を卒業し、看護師の資格も取り、4月からは看護実習で訪れた松江第一病院で看護師として働き始める。
同年11月、10年ぶりに知夫里島に帰郷の石橋に同行した際、目の前に雄大な日本海が広がる赤壁で石橋から一緒に実家の診療所をやっていかないかとプロポーズされ、それを受け入れた。3年後の2011年1月、介護と看護が必要な知夫里島で島民の健康を守るために石橋と毎日奮闘の日々を送っていた。と同時に、お腹の中には新しい命が宿っていた。
「ワイルドダック」では、大抵バナナジュースを注文している。携帯電話の着信音は「赤いスイートピー」(歌手活動以降、マナーモードの方が多い)。のぞみとの見分け方は、右手で受話器をとったり、緊張や不安の状態のときには右手で左腕をさすったりするところと、カジュアルな洋服や白衣の着用が多く、出雲弁を話すところ。名前の由来は「'''愛に恵まれますように'''」という両親の願いから来ている。
京都・祇園の芸妓の娘で、芸一筋に生きる舞妓。好きな曲は「赤いスイートピー」と「M」。18歳の誕生日の2000年8月16日、出雲市大社町の出雲大社で銀のススキの簪を落とし、それをめぐみが拾った。そして、めぐみと顔を合わせた瞬間、あまりに瓜二つだったので2人とも驚き、言葉を失う。さらに、その場に居合わせた石橋に促されてめぐみが言った誕生日が自分と同じ誕生日だったので、ますます動揺してしまい、舞妓になった5月15日を誕生日と言ってしまった。その後、「花むら」で酔っ払った後藤が、18年前に隆康があやした赤ん坊の名前をめぐみと口を滑らせたことで、自分とめぐみは双子の姉妹だと確信。それからめぐみと頻繁に連絡し合うようになり、同年の10月1日にめぐみが松江の市役所で手に入れた戸籍謄本で2人が本当の姉妹であることが判明した。それから6日後、家族に嘘をついて祇園に来させためぐみと入れ替わって松江に行き、翌日、実の父親である忠から、母親の真喜子との出会いから結婚を経て離婚までに至った経緯を聞く(一方のめぐみも、祇園で生母の真喜子から真相を聞かされる)。
翌年の春から、めぐみが大学進学のために京都に移ってきたことで、自由な生活を送るめぐみをうらやましく思うようになる。そして、2002年2月24日、忠のボクシングの試合を観て、芸妓になることが自分の道ではないと考え、襟替えを10日後に控えているにもかかわらず、舞妓を辞め、翌日からは松江に移り住む。
低学歴のため、アルバイトに応募することを躊躇するが、やがてめぐみら3人とともに歌手になる決意をする。「SJ」解散後のめぐみとの双子デュオ「Sweet Juno(スイートジュノ)」では、順調に活動を展開するが、解散後のソロ活動は不調で、「舞妓姿で歌を歌う」という案を拒絶して所属していた「サリーミュージック」との契約を解消。キャバレーなどで細々と歌手活動を続ける。やがて自分の歌手活動の限界を感じ、2004年9月、再び祇園に戻る道を選んだ。
3年後の2007年10月、井上流の名取となることを許された一流の芸妓となったが、自分が育った「花むら」の今後の行く末を考えて、同年11月に次の女将になる覚悟を決めた。同時に、康太の妻になる決意もする。なお、2001年春ごろから2004年夏ごろまでは石橋に想いを寄せていて、その気持ちを何度も伝えていたが、ことごとくフラれていた。
2008年2月、芸妓を辞めて「花むら」の女将となり、女将修行を始める。その際、前女将・大女将の久乃の養子に入り、さらに同年5月、康太と結婚した。3年後の2011年1月、久乃の手助けなしに何でもひとりでこなせる立派な女将へと成長していた。同年2月、見かねた久乃は、2人の時間を作る目的で、2人には内緒でわざと家出をさせた舞妓の花知こと、節を松江まで迎えに行かせた。その後、節から真相を聞かされ、2人は仲直り。その足で知夫里島へと向かった。そして、めぐみたち「シジミジル」のメンバーの前で妊娠を報告した。
2002年ごろから2004年9月ごろにかけては、携帯電話の着信音は主に「M」にしている。めぐみとの見分け方は、左手で受話器をとったり、緊張や不安の状態のときには左手で右腕をさすったりするところと、エレガントな洋服や和服の着用が多く、京言葉を話すところ。名前の由来は「'''望みがかないますように'''」という両親の願いから来ている。次のエントリ
松江の人々
めぐみとのぞみの実の父親。優しいが、頑固なところもある松江市宍道湖のシジミ漁師。めぐみの友達には「松江のトム・クルーズ」と言われている。シジミの佃煮が大好物。中学卒業後はプロボクサーになるために、両親に反発して大阪へ。17歳でプロボクサーとなり、才能があると将来を有望視されていたが、2年後、父親の死を伝えに来た当時の妻の真喜子が2人の男性に絡まれた際、その中の相手ひとり(元ボクサー)を殴ったためにボクサーを辞め、真喜子とも離婚し松江へ戻ることとなった。その際、めぐみひとりだけを連れて帰った。それから19年、ボクシングを封印していたが、「黒髪」が上手に舞えないと言う19歳ののぞみと暴力事件を起こした当時の自分を重ね合わせ、「子どもたち3人には、後悔しない生き方をしてほしい」と考え、厳しい減量とトレーニングの末、一度だけリングに立つ。必殺技は、シジミ漁で鍛えた左腕から繰り出す「ジョレンアッパー」(吉田の命名)。なお、真喜子とは、めぐみとのぞみが生まれるちょうど1年前に京都に遊びに行った際に、偶然会った。当時、忠は18歳、真喜子は16歳だった。
忠の妻で、めぐみの育ての親。生年月日は1961年7月14日。料理が得意。演歌が好き。1982年冬に忠が乳飲み子のめぐみを連れて松江に戻ってきた。当時、田島家に隣接する実家で出雲そば屋の手伝いをしていたが、忠と初枝には一切の事情を問うことなく、自然とめぐみの面倒も見るようになっていった。それから数か月後の1983年2月23日(三倉茉奈と三倉佳奈の誕生日でもある)に忠と結婚した。それから18年後、めぐみは、生みの親でないことを知ってからも「お母ちゃん」と呼び親しんでいる。また、舞妓を辞めて、一時松江に来たのぞみのことも、実の子のように親身に世話をしている。その一方で、忠が元妻の真喜子から頻繁に連絡を受けるようになってからは、2人の仲を疑問視し始め、2004年に結婚22年目にして忠と別れる決意を固め離婚届を書くも、忠と話をしているうちに、中学1年生のときに初めて持った忠への想いを思い出し、離婚を思いとどまる。なお、設定上、嘉子は忠より2歳年上であるが、演じる鈴木は忠を演じる吉田より3歳半若い。
めぐみとのぞみの2歳下の腹違いの弟(忠と嘉子の実子)。高校生のときは、チャコの大ファンで、彼女の追っかけをしたり、サイン入りポスターを自分の部屋に貼ったりしていた(大学生になってからは、ポスターは魚介類に替えた)。のぞみの存在を知る前は、陽気で家の中を盛り上げるムードメーカーとしての側面が強かった。しかし、2000年10月に姉の出生の秘密を知ってからは、人間不信に陥り、長年真実を隠してきた忠に不満をぶつけたり、髪を金髪に染めて非行に走るなど大変荒れた。その後、造り酒屋「石井酒造」でアルバイトをするようになってからは、髪を黒く染め直し、荒れることはなくなったが、生まれたときから自分の人生が決められていることに非常に悩むようになる。そんな中で、リングに上がった忠の姿を見て、地元の水産の研究をしたいと思うようになり、2003年4月、地元の水産関係の大学に進学。4年後、地元の宍道湖自然研究所に就職した。そして、数年後には、2001年5月に家を飛び出して、当時めぐみが下宿していた「花むら」を訪れた際、泥棒に間違われた美香と結婚した。
めぐみとのぞみの祖母(忠の母)。松江城を囲む堀川を巡る観光遊覧船で船頭をしている。観光ガイドをしながら、自慢ののどを披露するのが楽しみ。また、自宅でポットのお湯で抹茶を点てるのも生きがいにしている。めぐみとのぞみの出生の秘密を隠しながら、嘉子を忠の後妻に迎えたことで、その秘密が発覚する2000年10月まで、嘉子と松本家の人々には負い目を感じていた。忠がボクシングをすることには否定的だった。のぞみが松江に住むようになったことの報告と、下宿しているめぐみに会いに、「花むら」を訪れる2002年3月まで、祇園に対して偏見を持っていた。2007年11月、めぐみ、石橋がいる松江第一病院の消化器内科に入院し、胆管のバイパス出術を受けた。その後、体全体の精密検査で、膵頭がんが見つかり、抗がん剤治療を受けることとなった。そして、1年後には、これから先、徐々に抗がん剤を減らせるところまで回復した。
めぐみとのぞみの祖父(忠の父)。物語開始時点で故人。享年50。責任感が強く、周囲の人望も厚かった。一方で、愛情表現が不器用で、忠とはたびたび衝突。そのため、プロボクサーになるために、中学卒業後、家を飛び出した忠には、自分から会いに行こうとしなかった。生前は代々の家業を継いで、宍道湖の自然をこよなく愛し、その恵みに感謝したシジミ漁師で、忠は宗助の死により跡を継いだ。
めぐみの義母方の祖父(嘉子の父)。田島家の隣家で出雲そば屋「松本そば店」を営む。あだ名は「そばジィ」。宗助とは幼なじみ。昔から忠のことを実の息子のように思っていて、忠がボクシングをするときも忠の家族や妻の正子が反対する中、応援していた。
めぐみの義母方の祖母(嘉子の母)。お人好しの邦治の手綱をしっかりと握っている。
松江の観光ガイド。滋賀県出身。小泉八雲を尊敬し、その仮装をしている。あだ名は、八雲のあだ名と同じ「ヘルン先生」。めぐみのボランティア先である京都の特別養護老人ホーム「琥珀苑」の施設長・高林は戸籍上の妻だが、松江と京都とで別々に生活を送っていた。しかし、10年後には松江で一緒に暮らすようになった。なお、娘・節は別居後、彦四郎が引き取って育ててきた。
彦四郎の娘。父親の好きな小泉八雲の妻(小泉セツ、もしくは小泉節子)にちなんだ名前をつけられている。めぐみと康太は妹のように思っている。2004年7月、彦四郎に連れてこられた「琥珀苑」で、めぐみ立ち会いのもと、10年ぶりに実母の高林と再会。その後、高林とも一緒に暮らすようになる。2007年秋、翌年中学を卒業したら、京都・祇園で舞妓・芸妓になると宣言し、両親や祇園の人たちに反対される。しかし、本人の固い意志と熱い思いを知ったのぞみが反対している人たちを見事説得し、2008年春からは「花むら」に住んでいる。
老舗の造り酒屋「石井酒造」の店主。忠、嘉子とは幼なじみ。通称「七代目」。着物の背中にある「杜甫」は伝統の銘柄で、それを超えようと、2002年3月にオリジナルの「花舞」を作るが、「杜甫」に比べて評判は悪く、そのことに苦悩するが、同年10月、忠と健太郎も祖父や父を超えたいという同じ悩みを持っていることを知って安心し、それ以降、それほどこだわりを持たなくなった。
寛治の妻。寛治を尻に敷いている。おっちょこちょいな性格で、他人に余計なことを言ったり、世話を焼いたりすることもある。勾玉アクセサリーを作るのが得意。長年、不妊に悩んでいたが、2007年に待望の子ども(長男・直宗)を授かる。
康太の父。宍道湖の観光遊覧船「スワン号」の船長。通称も「船長」。ギターの弾き語りが上手く、めぐみに手引きをした。また、若者たちのよき理解者で、遊覧船事務所を「シジミジル」のたまり場として提供した。初枝に淡い恋心を抱いている。
めぐみの3歳上の幼なじみ。2年下の後輩の俊(実際には、久保山と東島の年齢は同じ)のギターと、めぐみのギターの弾き語りに惚れ込み、俊とめぐみと一緒にバンド「シジミジル」を結成。リーダーとなり、タンバリンを担当する。高校卒業後は、幹太の観光遊覧船の仕事の手伝いをしていたが、2001年5月に「シジミジル」の歌手デビューを夢見て京都に移ってからは、ライブハウス「ワイルドダック」でアルバイトをする。
2002年12月1日、のぞみも加えての「SJ」としてデビューするが、3か月後の2003年3月15日に解散。松江に戻る。
2003年8月、めぐみが歌手活動を続ける自信を持てずにいることに気づき、めぐみとのぞみの側で付き人として働き、翌年の3月からはソロ活動ののぞみのマネージャーとなる。しかし、のぞみの歌手活動の限界を察し、同年9月にマネージャーを辞任。それ以後、のぞみの計らいで、のぞみの祖父の呉服問屋で働いている。小さいころからめぐみに恋心を抱いていたが、ソロ歌手ののぞみのマネージャーのころからはのぞみに気持ちが傾いた。そして、2007年11月、のぞみに求婚、2008年5月、のぞみと入籍した。と同時に、花村の婿養子にもなった。なお、自分の立場は、めぐみのときには素戔嗚尊(スサノオノミコト)、のぞみのときには『無法松の一生』の(富島)松五郎だと考えていた。
めぐみの1歳上の幼なじみ。「シジミジル」のリードギター。高校時代の康太の後輩。音楽に熱中するあまり、大学受験に失敗し二浪したが、2002年にめぐみと同じ大学に合格する。しかし、音楽の道を進む夢を諦めきれず、その年の12月に「SJ」としてバンドデビュー。翌年の3月の「SJ」解散後には、スタジオミュージシャンとして活動するが、やがてインストゥルメンタルのソロアルバムが大ヒットし、多忙な生活を送るようになる。
めぐみの高校時代の友人。明るく、元気な性格で、めぐみが落ち込んだときにはいつも勇気づける言葉をかけていた。高校卒業後は地元の短期大学を経て、地元の信用金庫に勤め、2004年に牧場経営の男性と結婚し、その後は西ノ島に住んでいる。
松江で人気の女性ストリートミュージシャン。「路上の天使」と呼ばれている。地元での活動を条件に、石橋の芸能事務所と契約している。次のエントリ
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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