グレゴリオ暦
'''グレゴリオ暦'''(グレゴリオれき )は、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦である。現行の太陽暦として世界各国で用いられている。単に'''新暦'''()と呼ばれる場合もある。現在使われている西暦はグレゴリオ暦である。1年を365日とするが、400年間に97回の閏年を置いてその年を366日とする。これによって、400年間における1年の平均日数を365.2425日とすることがグレゴリオ暦の本質である。
日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。
【動画】feel the fuji ヘリアカルライジング06 ドキュメント

グレゴリオ暦の7月26日は、13の月の暦では新年の始まりです。ヘリアカル・ライジング...その日、太陽の日の出と一緒に、シリウス(天狼星)が地球に姿をあらわし、そして、その日、ナイル川が氾濫し始めたという。このような壮大な大自然の動き、太陽の動き、銀河の星の動きがシンクロする瞬間を人々は一年の始まり...
制定の経緯
16世紀後半、当時用いられていたユリウス暦は閏年の置き方が精密ではなかった。そのため、暦上の春分日と実際の春分日とのずれが顕著(16世紀後半時点で10日のずれ)になり、復活祭の日付の計算が正しくないことが無視できなくなった。このため、ローマ・カトリック教会のトリエント公会議(1545年 - 1563年)は教皇に暦法改正を委託した。時の教皇グレゴリウス13世は、これを受けて1579年にシルレト枢機卿を中心とする委員会を発足させ、暦法の研究を始めさせた。この委員会のメンバーには、当時の代表的な科学者であった天文学者アロイシウス・リリウスや数学者クリストファー・クラヴィウスらが含まれた。委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日に発布され、同年10月4日(木曜日)の翌日を10月15日(金曜日)とすることを定めた。次のエントリ暦の概要
それまで用いられていたユリウス暦では、通常の年(平年)は1年を365日とし、4年に1回を閏年として366日とし、平均年を365.25日としていた。365(日)+1/4 = 365.25(日)……ユリウス暦による1年間の平均日数
しかし太陽年は約365.2422日であるため、ユリウス暦の方式では1000年で約8日の誤差が生じる。これにより、比較的頻繁に補正することが必要であった。
365.25(日)-365.2422(日)=0.0078(日)……1年ごとの誤差
0.0078(日)×1000(年)=7.8(日)=約8(日)……1000年間の累積誤差
これに対して、新たに定められたグレゴリオ暦では、400年間に97回の閏年を設けることにより、平均年を365.2425日とした。この調整とは「'''西暦紀元(西暦)の年数が100で割り切れてかつ400では割り切れない年は閏年としない。'''」というルールを加えることである。これはすなわち、ユリウス暦の方式では閏年とされる年であっても400年間に3回は閏年とせずに平年に戻すということである。
365(日)+ 97/400 = 365.2425(日)……グレゴリオ暦による1年間の平均日数
平均年を365.2425日とすることにより、3300年に約1日の誤差とした。
365.2425(日)-365.2422(日)=0.0003(日)……1年ごとの誤差
0.0003(日)×3300(年)=0.99(日)=約1(日)……3300年間の累積誤差
この365.2425日という値を算出したのはコペルニクスである。もっとも、主要な天文学者(もちろんコペルニクスも含む)が各々に算出した1年の長さの平均値がとられ、結果としてコペルニクスの値に近くなったという説もある。
平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである。すなわち、1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月は31日、4月、6月、9月、11月は30日で、2月は平年が28日、閏年は29日である。次のエントリ
【動画】Chinese New Year
Chinese New Year Between: Jan. 22 - Feb. 19 2010: Feb. 14 2011: Feb. 03 2012: Jan. 23 Celebration of the Chinese New Year - according to the lunar calendar- is becoming one of the most popular cultural events in New York City. The Lion Dance and the Dragon Parade are performed. チャニーズ・ニュー...
グレゴリオ暦の各国・各地域における導入
ユリウス暦と太陽年(実際の季節)とのずれは、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが指摘してから300年もの間顧みられず、16世紀になって宗教上の問題が顕著になるまで放置された。このずれを修正し新たにグレゴリオ暦を制定した後も、それがローマ教皇による発令だったためか、その導入時期は国・地域によってまちまちであった。ヨーロッパ圏内であっても、カトリックの国は比較的早く導入したが、一方でそうでない国では導入までに少なくとも100年以上かかった。次のエントリプロテスタント
プロテスタント諸国については、グレゴリオ暦への改暦に消極的だった理由の一つとして、復活祭の日付の決定がある。自らの祭事の日付をカトリックが定めた暦によって決められることを嫌ったわけである。しかし、ユリウス暦の日付がずれており、ずれた日付を基に祭日を決めることに問題があることは、プロテスタントの宗教家も認識はしていた。このためグレゴリオ暦は非カトリック国にも徐々にだが浸透した。ドイツのプロテスタント諸国は、日付の決定のみグレゴリオ暦を使用するが、復活祭の日付の計算にはプロテスタントのドイツ人天文学者ヨハネス・ケプラーが作成したルドルフ星表を使うということで妥協した。この暦は改良暦と呼ばれた。しかしケプラーはグレゴリオ暦の方が優れていることを知っていたため、日付計算はすべてグレゴリオ暦で行っていた。このため、実質的には改良暦はグレゴリオ暦で計算するのとほぼ同じだった。この妥協はうまくいき、周辺プロテスタント諸国もこれに追随した。次のエントリ出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
別のワードで検索!
トレンドマガジン [マグゥ]でグレゴリオ暦を検索






2011年度版『ヘリオコンパス』