フランス
'''フランス共和国'''(フランスきょうわこく、)、通称'''フランス'''は、西ヨーロッパ西部に位置する共和制国家である。北東にベルギー、ルクセンブルク、東にドイツ、スイス、南東にイタリア、モナコ、南西にアンドラ、スペインと国境を接し、西は大西洋に、南は地中海に面する。また、北海のドーバー海峡を隔てて北西にイギリスが存在する。海外領土でもサン・マルタン島でオランダと陸上国境を接し、南米植民地の仏領ギアナでは西にスリナム、南にブラジルと陸上国境を接する。
首都はパリ。欧州連合加盟国。国連安保理常任理事国。2009年のGDPは約2兆6759億ドルであり、日本の52%程の経済規模である。
国名
正式名称は、(フランス語: レピュブリク・フランセーズ)。通称、'''' 。 略称、'''RF'''。日本語の表記は、'''フランス共和国'''。通称、'''フランス'''。また、漢字による当て字で、'''仏蘭西'''(旧字体:'''佛蘭西''')、'''法蘭西'''などと表記することもあり、'''仏'''('''佛''')と略されることが多い。
国名の''France''は、11世紀の『ローランの歌』においてまでは遡って存在が資料的に確認できるが、そこで意味されているFranceはフランク王国のことである。一方で987年に始まるフランス王国le Royaume de Franceに、Franceという名前が用いられているが、これは後代がそのように名付けているのであってその時代にFranceという国名の存在を認定できるわけではない。また中世のフランス王はREX FRANCUS と署名している。Franceは中世ヨーロッパに存在したフランク王国に由来すると言われる。その証左に歴代フランス王の代数もフランク王国の王から数えている(ルイ1世とルイ16世を参照)。作家の佐藤賢一は、ヴェルダン条約でフランク王国が西フランク、中フランク、東フランクに三分割され、中フランクは消滅し東フランクは神聖ローマ皇帝を称したためフランク王を名乗るものは西フランク王のみとなり、フランクだけで西フランクを指すようになったと説明している。ドイツ語では直訳すればフランク王国となる(フランクライヒ)を未だにフランスの呼称として用いている。これと区別するためにドイツ語でフランク王国はと呼んでいる。多くの言語ではこのフランク王国由来の呼称を用いているが、ギリシャ語では古代ローマ時代に現在のフランスの領域が属していた行政区画のガリアに由来する""を使用している。アメリカに渡るのを、「渡米」と言うのに対して、フランスに渡ることを、「渡仏」と呼ぶ。次のエントリ
ローマの支配から王政時代
現在のフランスに相当する地域は、紀元前1世紀まではマッシリアなどの地中海沿岸のギリシャ人の植民都市を除くと、ケルト人が住む土地であり、古代ローマ人はこの地をガリア(ゴール)と呼んでいた。紀元前219年に始まった第二次ポエニ戦争では、カルタゴ帝国の将軍ハンニバルが南フランスを抜けてローマ共和国の本拠地だったイタリア半島へ侵攻したが、ゴールには大きな影響を及ぼさなかった。その後、カルタゴを滅ぼしたローマは西地中海最大の勢力となり、各地がローマの支配下に置かれた。ゴールも例外ではなく、紀元前121年には南方のガリア・ナルボネンシスが属州とされた。紀元前1世紀に入ると、ローマの将軍ユリウス・カエサルは紀元前58年にゴール北部に侵攻した。ゴールの諸部族をまとめたヴェルサンジェトリクスは果敢に抵抗したが、ローマ軍はガリア軍を破ってゴールを占領し、ローマの属州とした。ゴールは幾つかの属州に分割され、ローマの平和の下でケルト人のラテン化が進み、ガロ・ローマ文化が成立した。360年にゴール北部の都市ルテティアはパリと改名された。5世紀になるとゲルマン系諸集団が東方から侵入し、ガリアを占領して諸王国を建国した。
476年に西ローマ帝国が滅びるとゲルマン人の一部族であるフランク族のクローヴィスが建国したフランク王国が勢力を伸ばし始めた。シャルルマーニュはイスラームやアヴァール族を相手に遠征を重ねてほぼヨーロッパを統一した。
シャルルマーニュの没後、フランク王国は三つに分裂し、ほぼ現在のフランス、イタリア、ドイツの基礎となった。また、この時期に現代に続くフランス語(古フランス語)の形成が始まった。987年に西フランク王国が断絶するとパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選出され、カペー朝の下でフランス王国が成立した。次のエントリ
王政から共和政へ
1789年にフランス革命が起きて王政は倒され、1793年にルイ16世とマリー・アントワネットが処刑され、同時に数千人ものフランス市民が恐怖政治の犠牲となっている。政治的混乱ののちに、1799年にナポレオン・ボナパルトが共和国の権力を握り、第1統領となり、やがて皇帝に即位して第一帝政(1804年-1814年)を開いた。ナポレオン戦争と呼ばれる一連の戦争を通じてナポレオンの軍隊はヨーロッパの大部分を制覇し、彼の一族が新たに作られた国々の王位に即いた。この戦争で数百万人が犠牲となっている。1815年にナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた後、フランスは王政復古したが、王の権力は憲法に制約されていた。1830年、7月革命によって立憲君主制による7月王政]]が立てられた。この王政は1848年に終わり、第二共和政に移行するが、1852年にルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)が第二帝政を開く。
フランスは17世紀以降、1960年代まで広大な海外植民地を有しており、その植民地帝国は大英帝国に次ぐ規模だった。1919年から1939年の最大時にはフランスは12,347,000km²(フランス本国を含む)の領土に広がり、世界の陸地の8.6%を占めていた。
フランスは第一次世界大戦と第二次世界大戦の主戦場となっている。第一次世界大戦では140万人が犠牲となっており、この時は領土の一部だけが占領されたのにもかかわらず、第二次世界大戦よりも多くの犠牲を出した。第二次世界大戦ではドイツの電撃戦に敗れて、フランス本国は北部のドイツ占領地と南部の傀儡国家ヴィシー政権に分断されたが、シャルル・ド・ゴール率いる自由フランスが連合国についたため、辛うじてフランスは戦勝国の一員となった。
フランス第四共和政が成立し、経済は再建されたものの列強国としての地位は崩れかけていた。フランスは植民地体制を守ろうとしたが、脱植民地化時代の潮流には逆らえず、すぐに苦境に陥ることになる。フランス領インドシナの支配を回復しようとして、抵抗するベトミンとの間で第一次インドシナ戦争が勃発し、1954年にディエンビエンフーの戦いでベトミンに大敗を喫してインドシナから撤退している。そのわずか数ヶ月後には、今度はより厳しいアルジェリア戦争に突入する羽目になる。
アルジェリア植民地の維持の是非と植民者の帰還を巡って国論は割れ、内戦になりかけていた。このため、弱体で不安定な第四共和政は強力な大統領権限を含んだ第五共和政へ移行する。権限をもってシャルル・ド・ゴールは国内の統一を維持し、戦争終結へ踏み出した。1962年に和平交渉が妥結してアルジェリアは独立した。アルジェリアに先駆けて1956年にはモロッコとチュニジアが独立を達成していたが、インドシナやマグリブのみならず、ブラックアフリカの植民地においても独立運動は進んだ。1958年のギニア独立を嚆矢として、アフリカの年こと1960年にほぼすべてのアフリカ植民地が独立した。
1973年の石油危機以降、フランスは深刻な経済危機と低成長を経験しており、政権の交代が繰り返された。その為、1986年 - 1988年、1993年 - 1995年、1997年 - 2002年にはコアビタシオン(所属党派の異なる大統領と首相になってしまう、保革共存政権)が起こっている。
1950年代からのドイツとの和解と協力によって、両国はヨーロッパ経済共同体(EEC)や1999年1月のユーロ導入を含む欧州統合に中心的役割を果たして来た。フランスはヨーロッパ連合の主導国の一つであり、ヨーロッパの政治的統合を強く支持しているが2005年の欧州憲法批准は国民投票で拒否されてしまった。2008年2月にこれを継承するリスボン条約が議会の承認を得ている。次のエントリ
政治
現在のフランスは、直接選挙で選ばれる大統領(任期5年、2002年以前は7年)に首相の任免権や議会の解散権など強力な権限が与えられ、立法府である議会より行政権の方が強い体制が敷かれている。このため、先進国の中でも日本などと並んで官僚機構が強いと言われることが多い。また、大統領が任命する首相は、大統領にも議会にも責任を負っており、共に行政権を持つ(半大統領制)。このため、大統領の所属政党と議会の多数派勢力が異なる場合、大統領自身が所属していない議会多数派の人物を首相に任命することがある。この状態をコアビタシオンと呼ぶ。こうした場合、大統領が外交を、首相が内政を担当するのが慣例となっているが両者が対立し政権が不安定になることもある。
議会は二院制を採用し、上院に当たる元老院と、下院にあたるフランス国民議会がある。元老院は間接選挙で選出され、任期は6年で3年ごとに半数を改選される。国民議会は直接選挙で選出され、投票に際して小選挙区制と二回投票制度が定められている。優先権は国民議会にあり、元老院は諮問機関としての色彩が強い。
主要政党としては、国民運動連合(保守・右派)、フランス民主連合(中道・若干右寄り)、社会党(中道左派・社会民主主義)、フランス共産党(左派)がある。また、以下は議席を持たないが、国民戦線(極右・移民排斥)、反資本主義新党(極左)、労働者の闘争(極左・トロツキスト政党)も存在する。
2007年5月6日(CEST)に行われた大統領選挙ではニコラ・サルコジが当選し、同16日に第6代大統領に就任した。
特徴的な社会風土としてよく挙げられる点は、強烈な中央集権社会、エリート主義社会、および役人社会(官僚主義)であることなどである。労働人口に対する公務員の比率は21.6%に達し、世界でも屈指の強固さを持つ官僚主義に裏打ちされたその社会構造自体を指して、しばしば批判的な意味を含めたうえで『官僚天国』『役人王国』などと形容されることがある。次のエントリ
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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キリスト教徒、ユダヤ人、そして無神論者が、フランス革命の処刑の列に並んでいた。