ボスニア

ボスニア

'''ボスニア''' ('''Bosnia''') は、現在のボスニア・ヘルツェゴビナ北部の歴史的名称。セルビア語ボスニア語クロアチア語ではボスナ('''Босна'''、'''Bosna''')。

ボスニアという名前は、この地を流れるボスナ川に由来する。6世紀末から7世紀にかけて現在の住人の祖先にあたるスラヴ人が定住した。12世紀以降ボスニアはハンガリーの支配下に入るが、ハンガリーの支配は名目的で、実際にはボスニアの貴族が太守総督を意味する「バン」という称号を名乗り支配していた。中世にはボスニア王国が存在し、1322年にバンとなったスチェパン・コトロマニッチの時代にはヘルツェゴヴィナをその版図に収めた。ボスニア王国は14世紀後半のスチェパン・トヴルトコ1世の時代に最盛期を迎えると、1377年には称号もそれまでの「バン」から「王」へと改め、名実ともに王国となった。

ボスニア王国は1428年オスマン帝国の属国となり、1463年には国王スチェパン・トマシェヴィチが廃されオスマン帝国の直接支配を受けるようになる。オスマン帝国時代にはこの地域はボスニア県(ボスナ県)とされており、近隣のヘルツェゴヴィナ県、ズヴォルニク県ともに一つの州を形成していた。ボスニアではかつてキリスト教ボゴミル派の信仰が盛んであったが、オスマン帝国による統治のもとで徐々にイスラームへの改宗者が増え、現在ボシュニャクと呼ばれる集団の原型が形成されることとなった(ただし、ボゴミル派の信者のすべてがムスリムになった訳ではなく、正教会カトリック教会へ宗旨替えをする者も相当数存在したといわれる。結果、現在ではボスニアにおけるボゴミル派信仰は消滅している)。

長年にわたるオスマン帝国による統治が多くの改宗者を生む一方で、ボスニアには正教徒やカトリックのキリスト教徒も多く存在し、またユダヤ教徒のコミュニティーも存在していた。社会階層としてはムスリム(イスラム教徒)は地主に多く、キリスト教徒は小作人に多かったといわれる。このように各宗教が混在した状況ではあったが、オスマン帝国支配下では宗教別の共同体(ミッレト)による自治が認められていたこともあり、宗教的な対立は比較的少なく、各宗教は共存関係にあった。ただし、地主と小作人の経済的な対立が宗教対立に変化することはあり、1875年にはボスニア蜂起と呼ばれる大規模な反乱が発生している。

ボスニア蜂起とそれに引き続く露土戦争の結果、サン・ステファノ条約ではボスニアに自治権が付与されたものの、その後のベルリン会議によってオーストリア・ハンガリー帝国がボスニアを軍事占領することとなった。占領当初、ムスリムを主体とする大規模な抵抗が起きたが、占領軍は1878年末までにこれを鎮圧した。これにより1878年以降はオスマン帝国の名目上の主権のもと、オーストリア・ハンガリー帝国が施政権を行使する体制が1908年まで続く。オーストリア・ハンガリー帝国の占領下のボスニアは帝国の大蔵大臣(共通蔵相)の管轄下に置かれ、ムスリム地主の勢力を温存する政策が採られた。だが、地域内に多くのセルビア人が居住する事を理由にセルビアはボスニアにおける領有権を主張し続けていた。

1908年、ボスニアはヘルツェゴビナと共に正式にオーストリア・ハンガリー帝国に併合された。併合後も占領時代同様にオーストリアにもハンガリーにも属さず、共通蔵相の管轄下に置かれていたものの、1910年には帝国内の他地域と同様に憲法が適用されるようになり、選挙も行われた。こうして各宗教がそれぞれに政治組織を結成し、宗教に基づいた民族意識の形成が進みつつある中で、ボスニアの領有権を巡るオーストリア・セルビア間の紛争が第一次世界大戦へと発展、やがて敗北したオーストリア・ハンガリー帝国はその崩壊を迎え、ボスニアは戦後新たに成立した「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国」(旧セルビア)の版図に組み込まれた。
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