ミクロネシア連邦
世界 > オセアニア > ミクロネシア > '''ミクロネシア連邦''''''ミクロネシア連邦'''(ミクロネシアれんぽう)、通称'''ミクロネシア'''は、太平洋のミクロネシア地域に位置するオセアニアの国家。マリアナ諸島の南東、パラオの東、マーシャル諸島の西、パプアニューギニアの北ないし北東にある。地理的には、カロリン諸島と呼ばれる。首都は、ポンペイ島のパリキールである。
国名
正式名称は、Federated States of Micronesia。略称、'''FSM'''。単なる Micronesia は、この国を含むさらに広い地域全体の公式名称であるが、しばしば、この国を指す言葉としても用いられる。日本語の表記は'''ミクロネシア連邦'''。通称'''ミクロネシア'''。英語での発音は'''マイクロニージャ'''[ˌmaɪkroʊˈniʒə] である。次のエントリ
歴史
紀元前4000年から紀元前2000年にはフィリピンやインドネシア地方から渡ってきた定住者がいたといわれている。また東側のポンペイ州やチューク州にはギルバート諸島やソロモン諸島からツバル、キリバスを経由して来た一団もいたと推測されている。ポンペイ島では、12世紀から14世紀頃にかけてシヤーウテール王朝が支配していた。コスラエでは14世紀から19世紀中頃まで王朝があった。
1525年にポルトガルの探検隊がヤップ島本島とユリシー島を「発見」。1529年にスペインの探検隊がカロリン諸島を「発見」し、大航海時代にはスペインを中心とした国の中継点となり、1595年にマリアナ諸島とカロリン諸島がスペインの領土と宣言したものの、キリスト教の布教以外に実際に統治はしなかった。コスラエには、1824年にフランス船が入港したのがヨーロッパとの最初の接触であった。その後スペインは1886年に要塞建設などを開始した。
1869年、ドイツが貿易の拠点をヤップ島に開設し、スペインがそれに対し1885年に軍隊を派遣したが、結局スペインは1899年米西戦争に敗れ国力が疲弊していたこともあり、ドイツにパラオを含むカロリン諸島を売却した。ドイツはこの地を「ドイツ領カロリン諸島」として植民地化した。
1914年より第一次世界大戦が勃発し、日本が赤道以北のドイツ領ミクロネシアを管理下に置いた。日本はそれ以前よりドイツ領ミクロネシアとの経済関係を強化しており、ミクロネシアの経済は日本との貿易に依存していた。1920年、国際連盟は日本にミクロネシアの統治を委任し、日本の「委任統治領南洋諸島」として南洋庁の下に置かれた。この期間、日本人居住者は85,000人を超え、日本人事業家が経済を活発化させたためミクロネシアは貿易黒字が続くという状態であった。
第二次世界大戦が勃発すると、世界最大級の環礁に囲まれたトラック諸島などは天然の要塞として日本軍の太平洋における最重要拠点のひとつとなった。1944年2月、アメリカ軍はこの地域の日本軍基地に対して徹底的な攻撃を開始し、陥落させた。
1947年、国際連合はミクロネシア地域を6つの地区に分け、アメリカ合衆国を受任国とする太平洋諸島信託統治領とした。1965年アメリカはミクロネシア議会の発足に合意、1970年代後半より自治独立の交渉が始まった。1978年7月、ミクロネシア憲法が起草されたが、6つの地域のうちマーシャル諸島とパラオでは住民投票で否決されたので、その結果残りのポンペイ、チューク、ヤップ、コスラエの4地区が「ミクロネシア連邦」を構成する州となり、1979年5月この憲法が発効した。
1986年11月3日にミクロネシア連邦は、国防と安全保障をアメリカに委託した自由連合盟約国として、事実上独立した。1990年12月に国際連合安全保障理事会は正式に信託統治の終了を宣言した。
独立までの経過については信託統治も参照。次のエントリ
政治
大統領制をとっている連邦国家で、政党はない。大統領の任期は4年で、各州出身議員の間から互選されるという紳士協定による輪番制。連邦議会は一院制で、4年任期議員4名(各州1名)、2年任期議員10名(チューク州5名、ポンペイ州3名、ヤップ州1名、コスラエ州1名)。
米国とミクロネシア連邦の間で締結されている自由連合盟約により、安全保障及び一部外交上の権限はアメリカ合衆国が保持している。次のエントリ
地方行政区分
ミクロネシア連邦は、4つの州からなる。国旗の4つの白い星は、これらの州を表している。次のエントリ
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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