北マリアナ諸島
'''北マリアナ諸島'''(きたマリアナしょとう、)は、アメリカ合衆国(米国)の属領・保護領(自治的・未編入領域)である。ミクロネシアのマリアナ諸島のうち、サイパン島、ロタ島、テニアン島など、南端のグアム島を除く14の島から成る。首都はサイパン島のススペ。「'''北マリアナ諸島連邦'''」と日本語訳されるが、北マリアナ諸島は連邦制(英:federation)をとっておらず、アメリカ合衆国と連邦の関係にあるわけでもない。この連邦とは、コモンウェルス(英:commonwealth)とよばれる自治の形態で、複数の国またはそれに匹敵する地域が政治的経済的につながりを持っている関係を指しているのみである
(だが、税関申告書の日本語版には「北マリアナ連邦へようこそ」と書かれている)。
地位
1919年から1944年まで日本が委任統治した。現在は米国属領の中でもコモンウェルス(英:commonwealth)という政治的地位にあり、北マリアナ諸島住民はアメリカ合衆国の市民権を有する。他の州とは違って連邦税の納税義務を持たない代わりに、アメリカ合衆国大統領選挙の投票権がない。かつてはアメリカ合衆国議会の選挙権も無く、首都ワシントンに北マリアナ政府代表が常駐するに止まっていたが、2008年よりオブザーバーの資格でアメリカ合衆国下院に議員を送ることが認められた。次のエントリ内政
** 公選制の知事が行政を統括している。
** 二院制議会が立法を統括している。
** 前者二権から独立した裁判所が司法を統括している。
人種・民族・宗教
アメリカ市民権を有する者の中では、先住民族のチャモロ人・カロリン人が圧倒的に多い。彼らの多くがカトリックを信仰している。最初にこの島々に居住した人々の子孫はチャモロ人と呼ばれるが、現在はミクロネシア連邦に属するカロリン諸島との交流も古い伝統があり、カロリン諸島系の住民(カロリン人)も少なくない。ドイツ及び日本による統治時代には、先住民による遠洋航海禁止政策によって、一旦カロリン諸島との交流は途絶えたが、1970年にサタワル島の航法師ルイス・レッパンルックが再びカロリン諸島とサイパンの間をカヌーによって航海し、現在は両者の交流は再び盛んになっている。一方、北マリアナ諸島には外国人が数多く住んでおり、特にフィリピン人と中国人の人口はチャモロ人を凌駕している。次のエントリ
経済
主要産業は観光業であるが、2005年後半以降観光客がだんだん減ってきている。とはいえ地理的に近いこともあって観光客の殆ど(7割以上)を日本人が占める。またかつては繊維業が盛んであった。北マリアナ諸島ではコモンウェルス盟約の規定により、独自の労働法や出入国管理制度が認められていたため、最低賃金を合衆国政府が定める基準よりも低く設定し、そして入国審査も緩くすることで中国人の出稼ぎ労働者を受け入れ、彼らが働く繊維工場が域内各地に出来た。北マリアナ諸島は米国領であるため、「'''Made in USA'''」の表示が許され、安価な北マリアナ製衣服が市場を席巻した。
しかし労働者に対する不当な搾取が問題化したため、合衆国政府は北マリアナ諸島政府からこれらの権限を剥奪し、合衆国政府の管理下に置くこととなった。そのため、これらの繊維工場は次々と閉鎖されることになった。次のエントリ
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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