坂本堤弁護士一家殺害事件
'''坂本堤弁護士一家殺害事件'''(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士、坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である。遺体が容疑者によって隠匿されたたため、1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。現場にオウム真理教のバッジが落ちていたが、神奈川県警は「事件性なし」として、捜査を行わなかった。犯行が明るみに出たのは、1995年(平成7年)9月、実行犯の一人、岡崎一明が自首したことによる。
【動画】オウム真理教の深い闇1 証言:中川智正、林郁雄 坂本弁護士一家殺害

オウム真理教の深い闇blogs.yahoo.co.jp blogs.yahoo.co.jp 地下鉄・松本両サリン事件や坂本堤弁護士一家殺害事件など計11の事件に関与したとして、殺人などの罪に問われたオウム真理教元幹部・中川智正被告(49)の上告審で、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は18日、被告側の上告を棄却する判決を言い渡した...
概要
● 事件のきっかけ「横浜法律事務所」に所属していた坂本堤弁護士は、出家信者の母親から息子のオウム真理教から、脱会について相談されたことがきっかけとなり、1989年(平成元年)5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及していた。同年10月下旬にオウム真理教幹部との話し合いが決裂し、坂本はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しなどの民事訴訟の準備に入った。
そのため、オウム真理教代表者麻原彰晃(松本智津夫)は「坂本弁護士の活動は、教団からの出馬を予定している翌年(1990年)の総選挙や、今後の教団の発展の障害となる」と考え、信徒に彼の殺害を命じたとされる。
● 殺害決行
11月3日、オウム真理教幹部である村井秀夫・早川紀代秀・岡崎一明・新実智光・端本悟・中川智正が、坂本が通勤で利用する横浜市の洋光台駅付近で坂本を待ち伏せし、自動車に連れ込み塩化カリウムを注射して殺害し、遺体をそのまま運び去ろうと計画していたが、この日は祝日であったため坂本は現れなかった。
このため、麻原の指示により坂本の自宅に向かい、翌11月4日未明に自宅に侵入。端本が坂本堤に馬乗りになり、岡崎が絞殺、新実が坂本の妻(当時29歳)を絞殺、中川が坂本の長男(当時1歳)の口をふさいで殺害した。
● その後
坂本一家が失踪した直後の1989年(平成元年)11月21日には弁護士有志の団体として「'''坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会'''」が結成され、1995年(平成7年)9月に遺体が発見されるまでの間、坂本一家を救うべく、日本全国規模でチラシ等の配布やキャラバン活動が展開された。
坂本の遺体は新潟県名立町(現・上越市)の山中に、妻は富山県魚津市別又の林道別又僧ヶ岳線脇に、長男は長野県大町市日向山の山中に埋められた。次のエントリ
遺体発見とその後の裁判
1995年(平成7年)地下鉄サリン事件が発生した後警察オウム真理教の捜査を本格的に開始。その中、岡崎一明の自供により坂本の一家が殺害されていたことがわかり、同年9月6日警察による山中の捜索が行われた。同日、坂本と妻の遺体が白骨化した状態で発見された。一方、長男の捜索は難航を極めたが、4日後の9月10日発見された(『死体を科学する』では死蝋化していたとするが不詳)。一家の墓所は鎌倉・円覚寺「松嶺院」にある。刺殺された村井を除き、実行犯全員に死刑判決が出た。
坂本の妻が遺体で発見されたのは、1995年(平成7年)9月6日、林道別又僧ヶ岳線の魚津市別又谷の上り口から数キロの地点であった。発見場所には遺族が木製の慰霊碑を建て、慰霊登山も執り行われている。次のエントリ
【動画】5-7オウム真理教-地下鉄サリン事件-Terror in Tokyo-1995
オウムvs米軍「最終戦争」シミュレーションwww.hh.iij4u.or.jp 日本の新宗教教団で、代表的なカルト教団の一つである。 松本サリン事件や坂本堤弁護士一家殺害事件、地下鉄サリン事件等のテロ活動を行った。 1995年3月20日地下鉄サリン事件。 東京の営団地下鉄でサリンを撒き、12人を殺害、5510人が重軽傷を負った。 麻...
初動捜査問題
失踪当初、坂本が所属していた「横浜法律事務所」等の関係者からは、オウム真理教の関与を指摘する声があったが、神奈川県警察は事件性は不明であるとの認識であった。これは、横浜法律事務所が労働問題(国労横浜人活弾圧事件で県警が誤認逮捕)や日本共産党幹部宅盗聴事件において、警察側と対立していたため、横浜法律事務所の弁護士の訴えに対して必要以上に慎重な姿勢をとっていたのではないかとの疑念も残る。特に国労横浜人活事件では坂本弁護士が主に担当していた。ただでさえ反権力志向とされる在野法曹のなかでも、とくに共産系とされる弁護士らは警察と対立する立場にあり、反共産主義的な意識が初動捜査の失敗につながったとされる論調があった。一方、宗教団体が政治的に力を持つようになったことが警察を萎縮させたという指摘もあり、特にジャーナリストの溝口敦は、創価学会の政界進出のころから、宗教法人の不祥事があったさい、それが明らかに違法行為となっても、司直の手が入らなくなったと指摘している。
そのため記者クラブにおいて、県警は「坂本は借金を抱えて失踪した」とか「(仕事で得た)大金を持ったまま逃げた」などの事実無根の噂を新聞社数社に流している。しかも、それと同時に県警は「任意の失踪の可能性は五分五分」とリークしている。
1990年(平成2年)2月に神奈川県警察に「'''長男は長野県大町市日向山の山中に埋めてある'''」と書かれた内容の手紙と埋められている場所を示す手書きの地図の入った差出人不明の封書が届き、神奈川県警は長野県警と合同で示した場所を捜索するものの発見できなかった。
結局「再捜索」は1995年(平成7年)9月の坂本弁護士一家の遺体発見まで行われなかった。実行犯の1人である岡崎が自首をしたことで、事件の真相が明らかになった。次のエントリ
TBSビデオ問題
1989年(平成元年)10月26日に東京放送(TBS)のテレビワイドショー番組『3時にあいましょう』が、当時社会問題化し始めていたオウム真理教問題について、坂本堤のインタビューを収録したが、その情報を察知したオウム真理教幹部らが、TBSの千代田分室を訪れて抗議したことにより、坂本のインタビューの放送が中止された。さらに、TBSがオウム真理教幹部にインタビューの模様を放送直前に見せた。この後、同年11月4日に坂本弁護士一家殺害事件が発生した。こういった経緯から、TBSは取材源の秘匿というジャーナリズムの原則に反しただけでなく、殺人事件のきっかけをつくり、失踪後もビデオをオウム真理教に見せたことを警察や弁護士会に伝えずにオウム真理教をかばい続けたという批判もなされた。次のエントリ出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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