小林武史
'''小林 武史'''(こばやし たけし、1959年6月7日 - )は、山形県新庄市出身の音楽家、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、ミュージシャン(キーボーディスト)。特に、Mr.Childrenのプロデューサーとして有名である。My Little Loverの元メンバーで、Bank Band、Lily Chou-Chou、BRADBERRY ORCHESTRAのメンバーである。
Mr.ChildrenやMy Little Lover、レミオロメン、Salyuなどが所属する事務所「烏龍舎(ウーロンシャ)」代表取締役社長(創設者)。ap bank代表理事。音楽制作者連盟理事。山形県立新庄北高等学校卒業。身長182cm、血液型B型。
Mr.Childrenの全作品の編曲に携わり、一部作品では作詞・作曲も手掛けているため、しばしば「第5のメンバー」と称される(Mr.Childrenのライブではプロデュースとキーボードを担当している)。サザンオールスターズのプロデュースで評価を集め、現在はMr.Childrenの他にレミオロメンやSalyu、鬼束ちひろなどのプロデュースを行っている。自身もメンバーとして加わっていたMY LITTLE LOVERでも大きな活躍を見せ、現在はBank Bandのメンバーとしての活動のほか、Lily Chou-Chou、BRADBERRY ORCHESTRAにキーボディスト、プロデューサーとして参加し活動中。
1996年に、My Little LoverのボーカルのAKKOと結婚したが、2008年元日に離婚した。
幼少期 - 音楽界へ
5歳からクラシックピアノを始めた。兄の影響もあって多くの音楽、特に洋楽を聴いて育った。高校の頃には、ジャズ理論なども自ら学ぶ。バンドを組んで自作曲を演奏したり米軍キャンプ回りをする一方、20歳の頃にはスタジオミュージシャン(キーボーディスト)としても活動を始める。バークリー音楽大学に行きたい気持ちもあったが、日本でもある程度学べたことと仕事が増えたことで、実践で経験をつけていった。1977年に廣田龍人が率いる「RICKY&REVOLVER」の結成に参加(1984年脱退、後任キーボーディストは吉俣良)。1980年には、業界プレゼンライブ「第1回原宿音楽祭」に出場し優勝。その頃、'''杏里'''への楽曲制作を依頼され初めて作曲を手掛けた「思いきりアメリカン」(1982年4月21日)がヒット。これを機に作曲家としても活動を開始(この曲以外の杏里への提供楽曲では、作曲のみならず、すべて作詞も手掛けていて、当時は杏里のサポート・メンバーでもあった)。またこの時、杏里のアレンジをしていた佐藤準の薦めでアレンジャー業も始めた。
25歳の頃、'''大村憲司'''との出会いをきっかけに'''井上陽水'''、'''坂本龍一'''、'''高橋幸宏'''、'''大貫妙子'''など数多くのアーティストの楽曲やライブにキーボーディストとして参加したり、'''松本隆'''・'''筒美京平'''コンビの楽曲の編曲を手掛けるなど、あっという間に引っ張りだことなる。
1988年、1989年には、小林自身が歌っているデモテープを聴いた大貫妙子の勧めで「小林武史」としてソロアルバムを2枚出したが、ほとんどプロモーションが無かったこともありセールス的には大きな影響を生み出せなかった(「このころ、すでに女性ボーカルを探していたが見つからなかったので自分が歌ったが、難しかった」と語っている)。次のエントリ
日本を代表するプロデューサーへ
1987年に、'''桑田佳祐'''の1stソロシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」(1987年10月6日)、2ndソロシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」(1988年3月16日)のアレンジに参加し、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』(1988年7月9日)と共に当時あまりメジャーではなかった小林が高く評価されるきっかけとなった。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と桑田は語っている(桑田著『ただの歌詞じゃねえかこんなもん~』より)。'''サザンオールスターズ'''の活動再開後の初シングル「みんなのうた」(1988年6月25日)からサザンの編曲にも参加するようになった。続くアルバム『Southern All Stars』(1990年1月13日)でもアレンジに参加し、桑田が監督した映画『稲村ジェーン』の音楽監督も務めた。収録曲の「真夏の果実」「希望の轍」はサザンのライブでは必ずと言っていいほど歌われる曲となった。翌1991年は、'''原由子'''の2枚組ソロアルバム『MOTHER』(1991年6月1日)のプロデュース、編曲を手掛けた。
この頃に桑田らと'''SUPER CHIMPANZEE'''という(小林曰く“冗談のような”)バンドを組んで活動。シングル「クリといつまでも/北京のお嬢さん」をリリース、日清パワーステーションで洋楽、NHKで邦楽のカバーライブを行った。このライブの模様は桑田佳祐『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』(DVD/VHS/LD)で観ることが出来る。
1992年は「涙のキッス」「シュラバ★ラ★バンバ」(ともに1992年7月18日)などを含んだ『世に万葉の花が咲くなり』(1992年9月26日)のアルバムプロデュースに参加。その後シングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」(1993年11月20日)を最後にサザンの音楽活動に参加することはなくなった。
この頃、ほかにプロデュースを手掛けていたアーティストに'''大貫妙子'''や'''渡辺美里'''、'''小泉今日子'''などがおり、作曲・編曲を手掛け小泉唯一のミリオンセラーとなる「あなたに会えてよかった」(1991年5月21日)で第33回日本レコード大賞編曲賞を受賞。後に「この曲でメロディーメーカーとして世間に認知されたことが大きな自信になった」と小林は語っている。次のエントリ
TK時代
小林が「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」とメジャーデビュー時(1992年)からプロデュースしていた'''Mr.Children'''は当初なかなかヒットしなかったが、アルバム『Atomic Heart』(1994年)の頃より大ブレイク。1995年にはかねてよりデビューさせたかったAKKOとギタリスト・藤井謙二を'''MY LITTLE LOVER'''としてデビューさせる。楽曲のほとんどが小林の作詞作曲によるもので、シングル3作目の「Hello, Again ~昔からある場所~」(藤井との共作)、1stアルバム『evergreen』共に200万枚を超える大ヒット。ヒットメーカーの名を不動のものとし、当時trfやglobeのプロデュース業で大ブレイクしていた小室哲哉とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。MY LITTLE LOVERはその後以前ほどの売れ行きを見せなくなったが、Mr.Childrenは依然として大きなセールスを続け日本を代表するアーティストとなった。また1995年には、桑田とMr.Childrenを共演させたシングル「奇跡の地球」を発表。また'''岩井俊二'''監督の映画『スワロウテイル』(1996年)の音楽監督を務め、同映画の主人公を演じた'''Chara'''がボーカルを務める架空のバンド・'''YEN TOWN BAND'''名義で出したシングル「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」(1996年7月22日)、アルバム『MONTAGE』(1996年9月16日)をヒットさせた。岩井とは、映画『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)でもタッグを組み、映画と連動した架空の歌手・'''Lily Chou-Chou'''(役は、Salyu)の作品をリリースした。次のエントリ
近況 (2000年以降)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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小林武史氏と片山正道氏のコラボレーション