山中秀樹
'''山中 秀樹'''(やまなか ひでき、1958年12月19日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元フジテレビアナウンサー。広島市京橋町(現中区)生まれ、八丁堀、幟町(現中区)育ち。タイタン所属。【動画】王朝の終わりの始まり FNN DATE LINE(1988.4.17)

来歴・人物
愛称は「'''山ちゃん'''」「'''山チュー'''(「空飛ぶ!爆チュー問題」での役名から)」。血液型はO型。幟町小学校・修道中学校・修道高等学校卒業。先輩に脚本家の遊川和彦、コラムニストの神足裕司(一学年上)ら、後輩には歌手の吉川晃司らがいる。先輩アナの福井謙二は小中高校の5年先輩にあたる。1977年、早稲田大学第一文学部哲学科社会学専修に進学。大学時代からアナウンサーを志望し、『大相撲熱戦十番』(文化放送)や『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でADのアルバイトをしていた。第一文学部の先輩には逸見政孝、松倉悦郎(元フジテレビアナウンサー)がいる。
NHK広島放送局チーフアナウンサーの杉浦圭子は同じ広島市出身であると同時に大学の同期であり、かつアナウンス研究会でも一緒だった。杉浦圭子が『7時のニュース』を担当していた頃には、山中がよく電話で彼女の番組にチェックを入れてことあるごとにアドバイスしていたという。
同大学卒業後、1981年にフジテレビに入社。同期には頼近美津子、本間淳子、大多亮がいる。
若手時代は『プロ野球ニュース』でプロ野球各試合のダイジェストを担当していた。その後、報道へ移り、特に土日の報道番組のキャスターを長きにわたって歴任した。
その一方で、バラエティ番組の『笑っていいとも!増刊号』のナレーションも3年後輩の吉沢孝明とともに長期間務めた。
フジテレビを代表するアナウンサーの一人として報道からバラエティまで幅広く担当し、また後輩の新人アナウンサーの教育には厳しい熱血指導で内外にも有名になるほどに力を注いだ。
後年、管理職であるアナウンス室専任部長を務めるようになってからも、生涯一アナウンサーを目指していたというが、2006年6月29日付で「ライツ開発局ライツ開発担当部長」へ異動し長年在籍したアナウンス室を離れたが、『湘南 OLD BOY 山中』『天才のパチンコ』(共にフジテレビ721・739)など、アナウンサー時代からの出演番組があるために掛け持ちしている状態だった。
しかし、アナウンスの一線から退いたことで希望していた仕事ができなくなり、自身のアナウンスへの思いはさらに強まり、2006年10月20日にフリーとなることを発表。同年12月末にフジテレビを退社、2007年1月から20年来の知人であり『ポンキッキーズ』『空飛ぶ!爆チュー問題』でも共演している爆笑問題が所属するタイタンに移籍した。
フジテレビ・フジテレビワンツーネクストで放送されている『男おばさん』(軽部真一・笠井信輔)の名づけ親でもある。
2007年12月25日、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』に登場した際は、「フリーになってからフジテレビからの仕事が極端に少なくなった」となげき合格。その後も「港さんなんてこの間収録であったら目もあわせてくれないんだよ」と愚痴をこぼした。ちなみにプレゼントはフジテレビの8は避け、日本テレビの4を選びハイビジョンテレビ2台を獲得した(もしそのまま8を選んでいたらハズレだった)。なお、『明石家サンタ』の番組のすぐ後の「空飛ぶ!爆チュー問題クリスマスライブ2007」に出演している。
2007年1月1日、フジテレビの『第40回初詣!爆笑ヒットパレード』にて、ヘリコプター中継のカメラに映るコレオグラフィの指導者役としてフリーデビュー。同年1月10日には日本テレビ『ラジかるッ』で他局初出演を果たし、その後水曜レギュラーとなった。
趣味は落語観賞など。またパチンコも趣味の一つで、2005年からは趣味が昂じてサンケイスポーツ紙上でコラム『天才のパチンコ』(隔週連載)を担当するようになった。同連載は2010年11月に『山中秀樹 パチパチLife』と改題して月1回連載となったが、現在も連載を継続している。次のエントリ
現在の出演番組
【動画】FLOWER TRAVELLIN' BAND "WE ARE HERE"
FLOWER TRAVELLIN' BAND NEW ALBUM "WE ARE HERE" www.flowertravellingband.com
フリー転向後
**2007年2月20日放送分-かつての同僚・有賀さつきと共演。
**2007年7月31日放送分-かつての上司・露木茂と共演。
フジテレビ時代
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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山中秀樹さんと!