岩村明憲
'''岩村 明憲'''(いわむら あきのり、1979年2月9日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。兄の敬士も大阪近鉄バファローズに所属した元プロ野球選手。【動画】最下位からワールドシリーズへ・・・岩村明憲 2008年シーズン Part1/6

球団創設以来、最下位が定位置だったレイズが、快進撃の末ワールドシリーズ出場まで辿り着いた、2008年シーズンのドキュメントです。 中心選手としてチームを引っ張った、岩村選手のリーダーシップに感服するばかりです。そして勿論、アスリートとしての能力も素晴らしい選手だと思います。 WBC連覇のメンバーとしてもチ...
プロ入り前
中学時代は二塁手。宇和島東高一年生時、捕手にコンバートされる。には全日本高校選抜の4番を務めた。三年生時の6月に右腕を骨折、急遽一塁手にコンバートされ夏の県大会を迎える。県大会では準決勝で松山商に敗れる。同年のドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受け入団。背番号は'''48'''。次のエントリヤクルト時代
に初の一軍出場を果たし、には130試合に出場。以降三塁手のレギュラーに定着し、ゴールデングラブ賞を初めて受賞した。、背番号を'''1'''に変更。は140試合にフル出場し、打率も3割を越え、ベストナイン初選出。
は右手首の故障のため60試合出場にとどまった。
には44本塁打を放つ。ロベルト・ペタジーニが1999年にマークしたチーム史上タイ記録に並ぶ一方でシーズン173三振の日本人新記録とセ・リーグ新記録、歴代5位の記録を作る(シーズン三振記録は1位から4位まではラルフ・ブライアントである)。
は8月26日に母親が他界。この日、対横浜戦(神宮)を控えていた岩村は若松勉監督(当時)から帰郷するよう勧められたが、「プロとして目の前の試合を放棄するわけにはいきません」と出場を直訴。左腕に喪章を付け、3番・三塁手で先発出場。2本塁打を含む3安打4打点の大活躍を見せ、チームの勝利に大きく貢献した。最終的に、この年は144試合に出場、打率.319、30本塁打、102打点の好成績を残す。
はWBC日本代表に選出され、ラウンド2までの全試合にスタメン出場し毎試合安打を記録する活躍を見せるが、故障で準決勝以降は欠場。レギュラーシーズンでは3年連続3割30本塁打を達成。シーズン終了後にはポスティング・システムを行使しタンパベイ・デビルレイズが455万ドルで交渉権を獲得。アラン・ニーロを代理人とし、3年770万ドルで契約を結んだ。次のエントリ
タンパベイ・レイズ
は開幕当初は6番で起用され、9試合連続安打のスタートを切ったが、4月24日に右脇腹を痛めDL入り。復帰後は主にトップバッターとして起用され、チームバッティングに徹する姿勢を貫いて若い選手に意識改革をもたらしたと評された。はマイナーから昇格したエバン・ロンゴリアを三塁手として起用する監督の意向により二塁手へコンバート。塁上の接触プレーなどに苦戦し、オープン戦では失策も目立ったが、シーズンが始まると72試合連続無失策と安定した守備を見せた。また、中堅手のB.J.アップトンに守備を教えたり、8月に7連敗した時は監督に緊急ミーティングを開くよう直訴するなどして若手の多いチームを引っ張り、チームはポストシーズン及びワールドシリーズ初出場を果たすも、フィラデルフィア・フィリーズに敗れた。この年のタンパ一帯では、スランプに陥っていたB.J.アップトンがゲン直しに岩村のソフトモヒカンを真似たことをきっかけに、モヒカンヘアーの大ブームが巻き起こった。
も前回に続いてWBC日本代表に選出される。主に9番・二塁手として出場し、内野のリーダーとしてチームを引っ張った。一次ラウンドはノーヒットに終わるが、二次ラウンドの初戦キューバ戦で2安打すると復調し、準決勝のアメリカ戦では4回裏、日本4点目となるタイムリー3塁打を放つ。決勝の韓国戦では、10回表に左前安打で一、三塁と繋ぎ、イチローの決勝点となる2点適時打を呼び込んだ。日本代表チームで、最後のホームを踏んだのは岩村である(決勝のホームを踏んだのは内川聖一)。全9試合で、打率.286、3打点、1盗塁、7得点と侍ジャパンの2連覇に貢献。ちなみに得点7はイチローとともにチームトップだった。
レギュラーシーズンでは5月24日のフロリダ・マーリンズ戦まで打率.310と例年以上の好調を見せていたが、その試合の8回に二塁の守備についた際、一塁走者クリス・コグランの激しいスライディングを受けて左膝を負傷し途中退場。精密検査の結果、左膝前十字靱帯断裂と診断された。岩村は、即日故障者リスト入りし、6月22日に手術を受けた。当初は、2009年シーズン中の復帰は絶望視されていたが、手術の際に部分断裂であることが判明。その後順調に回復し、現地時間8月29日のデトロイト・タイガース戦で9番・二塁手として復帰。2打数1安打2四球2得点とチームの勝利で復帰戦を飾った。翌日の試合では今季第1号をレフトスタンドに打った。試合後のインタビューで「今季はホームラン0かなと思っていたんですけど、打ててよかったです」とコメントを残した。
シーズン終了後の契約延長オプションは球団側が持っていたが、ジェシー・チャベスとの交換トレードでピッツバーグ・パイレーツへ移籍後にパイレーツがオプションを行使した。次のエントリ
ピッツバーグ・パイレーツ
は開幕から打撃不振に悩まされ、4月21日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で左中間への大飛球が凡打に終わると「この球場じゃなければ入っている」、5月10日のシンシナティ・レッズ戦でも同様に左中間の大飛球が凡打に終わると「他の球場なら本塁打」というコメントを残すなど、弱気な発言が目立ち、5月は40打席連続無安打を記録。打率は2割を割り込み、ペドロ・アルバレスのメジャー昇格に伴い6月16日にDFAとなり、22日に傘下のAAA級インディアナポリスへ降格。その後も移籍先が見つからず、9月6日に解雇された。次のエントリ出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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