幡ヶ谷

幡ヶ谷

'''幡ヶ谷'''(はたがや)は、東京都渋谷区北部にある地名である。地名「幡ヶ谷」の指し示す範囲には次の2通りのものがあり、この記事では両者とも扱う。

#住居表示としての「幡ヶ谷」。の住居表示実施により使用され始めた地名で、幡ヶ谷一丁目から幡ヶ谷三丁目まである。人口は15,019人。郵便番号は、151-0072。
#地域名としての「幡ヶ谷」(幡ヶ谷地域)。これは旧幡ヶ谷村の全域に相当し、現在の住居表示では「1」に加えて、区内本町、幡ヶ谷、笹塚が含まれる。
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幡ヶ谷
【画像】雨が降る中ふらりと幡ヶ谷まで。

由来

1082年永保2年)に源義家後三年合戦から帰る途中、小笠原窪(現在の本町付近)にて白旗を洗い、檜に掲げて祝宴を行ったことに由来するとされる。次のエントリ[ 概要 ]
幡ヶ谷
【画像】幡ヶ谷賃貸・街紹介

概要

広義の幡ヶ谷は渋谷区の北部に位置し、地域内では北東から西南へ向けて、本町、幡ヶ谷、笹塚の順に並んでいる。そして地域の北部は中野区南台弥生町に接し、東部は新宿区西新宿に接し、南部は代々木地域に属する渋谷区初台西原、およびその西の世田谷区北沢に接し、西部は杉並区方南に接する。幡ヶ谷は旧幡ヶ谷村村社氷川神社本町5丁目に所在)を共通の氏神とし、秋の大祭には全域から山車が集まる。

地形は武蔵野台地上の平坦な部分が大半を占めるが、北部の本町4丁目から幡ヶ谷3丁目、笹塚3丁目にかけては、かつてあった神田川の支流に沿って浅い谷になっていて、明治の頃には湿地帯をなし、水田がつくられていた。また地域の南縁にほぼ沿って昔の玉川上水が流れていたが、現在は笹塚駅の近辺の一部を除いて暗渠化され、緑道(公園)として整備されている。

地域内は大半が住宅街である。一方、幡ヶ谷2丁目の水道道路南側にはテルモの本社・工場、オリンパスの事業所などいくつかの工場が立地している。

商業面では甲州街道沿いを中心とした幡ヶ谷駅周辺に企業のビルなどが目立ち、六号通り商店街などの商店街も形成され、商業地が多く占める。西部においても、笹塚駅の周辺は近くに十号通り商店街が形成されるなど活発な商業地となっている。東部は新宿副都心に接し、その地にはオペラシティに隣接して新国立劇場がある。
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幡ヶ谷
【画像】グルメシティ幡ヶ谷店 店舗情報
幡ヶ谷
【画像】幡ヶ谷にある、カレーの店、

始まりから東京市編入まで

「幡ヶ谷」の名前が古文書に初めて現れたのは戦国時代、後北条氏が関東一円を掌握した時期の小田原分限帳であるという。その後、後北条氏が滅びて関東八カ国が徳川家康の領国となり、つづいて江戸幕府が開かれるに当たり幡ヶ谷はその大部分が幕府の直轄地となって、そのまま明治を迎えた。

江戸時代末期には幡ヶ谷は豊島郡に属し、豊島郡幡ヶ谷村と称していたが、1878年(明治11年)に豊島郡の一部をもって南豊島郡が設立されるに及んで南豊島郡幡ヶ谷村となった。そして、その頃から幡ヶ谷村は隣の代々木村と連合して役場を設けるなど関係を深めていたが、1888年(明治21年)に市町村制が公布、実施されるに及んで、翌1889年(明治22年)に正式に合併して代々幡村となり、1915年大正4年)に町制を施行して代々幡町となった。そして町制施行の時、南豊島郡はすでに東多摩郡と合併して豊多摩郡となっていたので、幡ヶ谷は東京府豊多摩郡代々幡町大字幡ヶ谷と呼ばれ、地域内に下町、幡ヶ谷本村、原、中幡ヶ谷、笹塚の5つの小字を有した。
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その他の主な事象

  • 1882年(明治15年) - 幡代小学校の創設

  •   1879年に制定された新教育令に従い、1882年に幡ヶ谷村と代々木村は従来からあった私塾を移して連合村立小学校「白木分校」を設けた。そして、1889年に両村合併して代々幡村となるや、白木分校を改称して「代々幡村立幡代小学校」とした。その後、幡ヶ谷地域は人口増加にともなって、笹塚小学校(1920年(大正9年))、本村小学校(1923年(大正12年)、のちに「本町小学校」と改称)、西原小学校(1928年(昭和3年)、幡ヶ谷原町の大部分を通学区域に含めて創設)、中幡小学校(1932年(昭和7年))と小学校を創設、整備していった。

  • 1898年(明治31年) - 玉川上水新水路の完成

  •   玉川上水は、和泉から新宿への流れは従来は幡ヶ谷地域と代々木地域の境の辺を通っていたが、東京市の新水道事業で淀橋浄水場の完成を機会に、和泉から角筈の浄水場までほぼ一直線に土手を築いて新水路を通した。工事は1892年に着手し、1898年に完成した。新水道は東京市民に多大の恩恵を与えたが、幡ヶ谷地域は中央を高い土手が縦貫して地域が南北に分断され、長年にわたって土地の発展が妨げられ、住民が多大の不便をかこった。

  • 1914年(大正3年) - 京王線の開通

  •   京王線は1912年に笹塚 - 調布の区間を開通・開業していたが、引き続いて東への延長工事を進め、1914年11月には「新町」(現在の文化女子短期大学の西の地点)まで延長した。なおこの後、新宿終点までの延長が完成するのは翌1915年5月のことであった。 開業当初の幡ヶ谷地域とその周縁にあった京王線の駅は、西から「笹塚」、「幡ヶ谷」、「代々幡」(のちに「幡ヶ谷本町」、「幡代」と順次改称し、1945年に廃止された)、「改正橋」(間もなく「初台」と改称)の4駅であった。

  • 1932年(昭和7年) - 玉川上水新水路の廃止

  •   1932年に玉川上水が甲州街道の地下に埋設された水道管を経由することに伴い、新水路は廃止された。そして、土手も撤去されることになり、上流側から工事が始まった。しかし、その後の戦争の進展により、土手の撤去工事は上流側から七号橋まで進んだ段階で中断された。戦後になって工事は再開されたが、七号橋から下流側は土手が撤去されることなく整地されただけに終わった。そして、水路全延長の跡地に水道道路が作られた。

  • 1945年(昭和20年) - 京王線「幡代」駅廃止

  • 1978年(昭和53年) - 京王新線開通。「初台」駅と「幡ヶ谷」駅が新線に移転
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    出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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