平仮名
'''平仮名'''(ひらがな)は日本語の表記に用いられる音節文字である。仮名の一種で、万葉仮名を起源として成立した。楷書ないし行書で表現される万葉仮名を、極度に草体化したものである。概要
現在の日本語で最も基本的な文字であり、主に次のような場面で用いられる。** 仮名交文
** 漢字の音(訓読み、振り仮名・ルビを参照)
** 和製漢字を含む漢字に、該当するものがない和語
** 日本語の初学者を対象とする、他の文字の代替
太平洋戦争後、学習指導要領の制定により、日本の学校教育では平仮名が最初に教えられるようになっている。次のエントリ
歴史
空海が平仮名を創作したという伝承があるが、これは俗説に過ぎない。平仮名の元となったのは、楷書ないし行書で表現される万葉仮名である。「あ」は「安」、「い」は「以」に由来するように、万葉仮名として使用されていた漢字の草体化が極まって、ついに元となる漢字の草書体から独立したものが平仮名と言える。すでに8世紀末の『正倉院文書』には、字形や筆順の上で平安時代の平仮名と通じる、半ば草体化した万葉仮名が見られる。9世紀中頃の『藤原有年申文』(867年(貞観9年))や同時期の『智証大師病中言上艸書』などの文書類にも見られる、これら省略の進んだ草書の万葉仮名を、平仮名の前段階である'''草仮名'''(そうがな)と呼ぶ。宇多天皇宸翰『周易抄』(897年(寛平9年))では、訓注に草仮名を、傍訓に片仮名を、それぞれ使い分けており、この頃から平仮名が独立した文字体系として次第に意識されつつあったことが窺える。
9世紀後半から歌文の表記に用いられていた平仮名が、公的な文書に現れるのは、醍醐天皇の時代の勅撰和歌集である『古今和歌集』(905年(延喜5年))が最初である。その序文は漢文である真名序と平仮名で書かれた仮名序の2つが併記された。また935年(承平5年)頃に紀貫之が著した『土佐日記』について、後にその原本の最終帖を藤原定家が臨模したものが伝存しており、当時すでに後世の平仮名と同じ字体が用いられていたことを確認できる。951年(天暦5年)の『醍醐寺五重塔天井板落書』になると、片仮名で記された和歌の一節を平仮名で書き換えており、この頃には平仮名は文字体系として完全に独立したものになっていたと考えられる。なお、平仮名という言葉が登場するのは16世紀以降のことであり、これは片仮名と区別するため、「普通の仮名」の意で呼ばれたものである。
貴族社会における平仮名は私的な場かあるいは女性によって用いられるものとされ、女流文学が平仮名で書かれた以外にも、和歌、消息などには性別を問わず平仮名を用いていた。そのため'''女手'''(おんなで)とも呼ばれた。ちなみに平安時代の貴族の女性は、平仮名を使って多くの作品を残した。しかし、その作者の本名は未だにほとんど分かっていない。
例えば、平仮名による最初期の文学作品である紀貫之の作品『土佐日記』は、かつては作者が女性であるという前提に立って書かれているといわれていたが、2006年(平成18年)に小松英雄が行った検証によると、この日記は女性に仮託したものではなく、冒頭の一節は「漢字ではなく、仮名文字で書いてみよう」という表明を、仮名の特性を活かした技法で巧みに表現したものであるという。平仮名で書かれたものは、漢文のものより地位が低く見られていたが、中国との公的交流が絶えて長くなるにつれて、勅撰の和歌集に用いられるまでに進出した。
平仮名の異体字は、万葉仮名のそれと比べると遥かに少ない。平仮名による表現が頂点に達した平安時代末期の時点で、異体字の総数が約300種、そのうち個人が使用したのはおよそ100から200種ほどとされる。時代が下るにつれて字体は整理される傾向にあり、現代においては、一音一字の原則に従って、1900年(明治33年)の小学校令施行規則の第一号表に示された48種の字体だけが普及している。この時採用されなかった字体を指して変体仮名と呼ぶが、このような概念はそれまで存在しなかったものであり、1900年(明治33年)までは(現代の)平仮名も変体仮名も区別なく、「平仮名」として用いられていた。次のエントリ
参考文献
関連項目
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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平仮名の木?