日本赤十字社
'''日本赤十字社'''(にっぽんせきじゅうじしゃ)は、1952年に制定された日本赤十字社法(昭和27年8月14日法律第305号)によって設立された特殊法人。社員と呼ばれる個人参加者の結合による社団法人類似組織である。日本において赤十字活動を行う唯一の団体。略称は「'''日赤'''」(にっせき)。名誉総裁は皇后美智子、名誉副総裁には、代議員会の議決に基づき、各皇族が就任している。代表者である社長は近衞忠煇(旧公爵近衛家当主)。
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概要
日本赤十字社法(以下、社法という)第1条では、「日本赤十字社は、赤十字に関する諸条約及び赤十字国際会議において決議された諸原則の精神にのつとり、赤十字の理想とする人道的任務を達成することを目的とする。」とされ、また第2条は特に「国際性」の見出しの下、「日本赤十字社は、赤十字に関する国際機関及び各国赤十字社と協調を保ち、国際赤十字事業の発展に協力し、世界の平和と人類の福祉に貢献するように努めなければならない。」と認可法人としては異例の定めを置いている。日本赤十字社では社法第7条により、日本赤十字社定款を定めることとされ、同社の事業は定款の定める経営・業務・資産などの規定に基づき運営されている。日本赤十字社の基本精神は人道、公平、中立、独立、奉仕、単一、世界性である。日本赤十字社は戦前は宮内省管轄(戦後は厚生省、現在は厚生労働省管轄)であったことなどにより伝統的に皇室の援助が厚く、皇后を名誉総裁とし皇太子ほかの皇族を名誉副総裁とする。
本社は東京都港区芝大門一丁目に所在し、全47都道府県に支部が設置されている。支部長は多くは知事が就任することが多いが、近年は知事以外の支部長も増加傾向にある。法律上の位置付けとしては、日本赤十字社法に基づく特殊法人で、災害対策基本法及び国民保護法上の指定公共機関に位置づけられており、災害時や有事に備え、防災基本計画及び国民保護業務計画の策定と閣議の承認を経ることが義務付けられているほか、災害時・有事はそれらの計画に基づいて国民の救済において国に協力することが定められている。
各都道府県支部の下に病院や診療所、血液センター、献血ルーム(献血ルームは血液センター出張所の位置付け)、福祉施設などがあり、また看護師養成の日本赤十字看護大学(設置者は学校法人日本赤十字学園)や専門学校を持っている。また、赤十字の思想目的に賛同し理解するボランティアで構成され、通常時は事業の支援活動(主として催事での手伝い)を、災害時には無給で救援活動を行なう「奉仕団」(主として地域組織に原点を持つ“地域”、学校単位で学生により構成される“青年”、アマチュア無線家や応急処置技術指導者、自家用操縦士、スキーヤーなど特殊技能の保持者で構成される“特殊”の3種がある)を保有。
災害発生時、国内の義援金(海外の場合は「救援金」)をとりまとめる機能も果たしている。近年では、災害時においてインターネット上でクレジットカードなどを通じて義援金(海外は、救援金)を行えるウェブサイトが増加しているが、これらの募金の受付先も日本赤十字社であることが多いが、国内災害の場合は、被災都道府県の設置する「義援金募集委員会」に集められ、都道府県の義援金配分委員会によって、被災された方々に交付される。海外救援金の場合は、現地ニーズに応じる形で、必要な支援物資等が購入される。例として、Yahoo! JAPANが壁紙を購入する形で、Amazon.co.jpが“募金”という商品を購入する形で募金を行った。平時においても「赤十字オリコカード」によって利用額の0.5%が、「赤十字DCカード」によって利用額の1%がカード会社から寄付される。
血液事業では、日本で唯一、献血の受け付けや、献血を原料とする血液製剤を製造し、医療機関への供給を行っている。また、1991年以降は有償採血が事実上廃止となったため、血漿分画製剤の原料として献血に基づく血液を製薬会社へ供給している。ただし、献血のみでは国内での血液需要を満たせない現状がある。
個人参加者15,530,000人、法人社員220,000社を数える。日本赤十字社は全国に92の赤十字病院、79の血液センターを運営し、このセンターや病院、また支部などに医師1名・看護師長1名・看護師2名・庶務担当の職員である主事2名の計6名で1個班が構成される'''常備救護班'''を複数個保有、地震・台風などの災害時や旅客機墜落・公共交通機関の大事故など、消防で対応し切れない大人数の負傷者発生の際には救援活動を行っている。このため、奉仕団員に対しても、10人以上が被災する事故が発生した事を知った場合には、積極的に支部に通報し('''災害通報''')、出動の一助となる事が推奨されている(現場を管轄する都道府県支部に着信する全国共通のナビダイヤルが2006年から導入された)。1923年の関東大震災、1985年の日航ジャンボ機墜落事故、1995年の阪神・淡路大震災、2004年の新潟県中越地震などが大災害の例として挙げられる。
日本国外の大災害へは、資金・物資の援助を行うことが多いが、スマトラ島沖地震(2004年)、パキスタン北部地震(2005年)では、医師・看護師を含む人員を派遣し、各国の赤十字と連携して被災者の救援や復興の支援にあたっている。→を参照。
また、毎年5月に社資増強運動(≒募金寄附金活動)を行っている。だれでも社費(会費)を年500円以上納めれば「日本赤十字社社員」になることができる。社員加入後10年以内に一括または分割で2万円以上の納付があれば、特別社員の称号が贈呈される。
毎年12月にはNHKと連携し「海外たすけあい募金」を行ったりもしている。
なお、日赤への寄付金に関しては、特定公益増進法人(公益の増進に著しく寄与する特定の法人)への寄付金として、税制上の優遇措置を受けることが可能である。
機関紙「赤十字新聞」を発行。また、支部レベルでの広報紙を発行するところもある(東京都支部の「日赤とうきょう」、埼玉県支部の「日赤さいたま」)。
赤十字のマークは、赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律により、日本赤十字社以外が使う事が禁じられている。もっとも、学校法人日本赤十字学園は「日本赤十字社以外の者」ではあるが、学章に赤十字のマークを入れている。次のエントリ
歴史
日本赤十字社の前身は大給恒と元老院議官で後に伯爵となった佐野常民らが1877年の西南戦争時に'''熊本洋学校'''に設立した'''博愛社'''である。当初新政府は、敵味方の区別なく救護を行う博愛社の精神を理解せず、設立を許可しなかった。そこで、佐野らは征討総督有栖川宮熾仁親王に直接設立を願い出る。逆徒であるが天皇の臣民である敵方をも救護するその博愛の精神を熾仁親王は嘉し、中央に諮る事なく設立を認可した。ただ敵味方共に助けるというその思想が一般兵士にまでは理解されず、双方から攻撃もしくは妨害などを受け死者が出たと言われている。博愛社は国際赤十字とは無関係に創設されたものだが、1886年ジュネーヴ条約に調印した政府の方針により、翌1887年に'''日本赤十字社'''と改称し、特別社員及び名誉社員制度を新設した。当時西欧の王室、皇室は赤十字活動に熱心であり、近代化を目指す日本でも昭憲皇太后(明治天皇皇后)が積極的に活動に参加し(正式紋章「'''赤十字竹桐鳳凰章'''」は昭憲皇太后の示唆により制定された)、華族や地方名望家が指導的立場に就いた。
1888年6月、支部設置を決定した他、有功章、社員章を制定した。
日露戦争(1904年 - 1905年)が起こると、日本赤十字社は旅順など満州で投降したロシア人捕虜の人道的な待遇に尽力した。第一次世界大戦でも中国山東省の青島で捕虜となったドイツ人も日赤の援助により人道的な待遇を受けた。1934年、第15回赤十字国際会議が東京で開催されている。
日清戦争時、帝国陸軍近衛師団軍楽隊楽手でもあった加藤義清が出征する友人を見送りに駅に行った際、同じく大陸の戦地に向けて出発しようとしている日本赤十字社従軍看護婦達の凛々しい姿に強い感銘を受け、一夜で作詞したといわれている軍歌『婦人従軍歌』がある(従軍看護婦を唄った歌曲は世界的にも珍しく、同時に明治日本軍歌を代表する曲の一つに数えられている)。
戦争遂行を優先とする軍部の勢力が政府部内で拡大するにつれ、日本赤十字社による戦争捕虜への援助が難しくなり、日中戦争(1938年 - 1945年)では宣戦布告なしの内戦などとの判断により、日本軍はジュネーヴ条約を適用しなくなった。太平洋戦争が勃発すると日本軍は東南アジア方面で数十万人にのぼる欧米人(軍人、民間人を問わず)を収容所に収容したが、日本赤十字社は積極的な救護活動をしなかったとして国際的な非難を浴びた。次のエントリ
略歴
※この後も国内外での戦争、紛争、大規模災害などの直接・間接的な救援活動は数知れず。
※阪神・淡路大震災では各国赤十字社の救援を受けた。特にスイスからの災害救助犬の派遣は前例がなく受け入れにスムーズさを欠いたが、活動開始後は被害者の救出に威力を発揮し、災害救助犬の重要性を認識させた。次のエントリ
救急法
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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