杉山愛

杉山愛

'''杉山 愛'''(すぎやま あい、1975年7月5日 - )は、神奈川県横浜市出身の元女子プロテニス選手。日本人選手として初めてWTAダブルス世界ランキング1位になり、シングルス・ダブルスともに世界トップ10に入った数少ない選手のひとりである。世界トップレベルのフットワークとバックハンド・ストロークを武器にする。キャリア通算でWTAツアーシングルス6勝、ダブルス38勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス1位。4大大会全豪オープン全仏オープンウィンブルドン全米オープン)のシングルス成績は、2000年全豪オープン2004年ウィンブルドンで2度のベスト8進出がある。2000年と2003年、彼女はダブルス世界ランキング1位を記録した。シングルスとダブルスの同時トップ10入りは日本人初であるとともに、世界でも限られたトップレベルのオールラウンド・プレーヤーであることを意味する。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
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選手経歴

杉山が神奈川県横浜市で生まれた1975年7月5日は、沢松和子1975年ウィンブルドンの女子ダブルスで日本人初優勝を達成した日でもある。父親は歯科医師(開業医)で、母親の芙紗子が2000年から2009年6月までコーディネーター兼コーチを務めていた。一家は後に神奈川県茅ヶ崎市へ移り、愛は茅ヶ崎で少女時代を過ごした。湘南白百合学園中学校卒業後、湘南工科大学附属高等学校を経て、神奈川県立湘南高等学校(通信制)を卒業。次のエントリ[ ジュニア時代 ]
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ジュニア時代

5歳からテニスを始め、8歳からニック・ボロテリー・テニスアカデミー藤沢校、荏原SSC等で本格的にテニスを学ぶ。1990年に15歳で全日本ジュニア18歳以下シングルスで準優勝するテニスマガジン12月号,14pと、同年の全日本テニス選手権に主催者推薦で出場。4回戦まで進出したITFジュニアサーキットでの主な戦績は1991年全豪オープン1991年全米オープン1992年ウィンブルドン選手権でそれぞれシングルスベスト8進出の成績を収め、1991年5月には日本人選手として男女通じて初のITFジュニア世界ランキング1位を記録する等、早くから国際的に名の知られたトップジュニアの一人であった。高校時代には他にも湘南工科大学附属高等学校在校時の1991年に1年生ながら高校総体シングルス決勝で、同じ湘南工科大附属の同級生だった吉田友佳を下し優勝している。また杉山はジュニア時代からツアーレベルの大会にも参戦しており、1990年9月のニチレイ・レディースではダブルスで道城まみと組み主催者推薦でツアー初出場。1回戦でエミー・フレージャー&小泉幸枝(日本)組に1-6,2-6のストレートで敗れた。翌1991年には全豪オープンシングルス予選で早くもグランドスラムに挑戦したが、この時は予選1回戦で試合前に棄権している。4月にはジャパン・オープンでツアーシングルス予選に初出場。1回戦でヤユク・バスキに7-5,2-6,4-6のフルセットで敗れている。1992年はミズノ・ワールド・レディースで予選を勝ち上がりツアーシングルス本戦初出場を果たすと、1回戦でも雉子牟田直子を1-6,6-2,7-5のフルセットで下しツアー初勝利を手にする。続く2回戦では第4シードの伊達公子と対戦。1-6,7-5,3-6のフルセットで敗れた。同年10月に17歳3ヶ月でプロ転向。この年のWTAシングルス年度末ランキングでは180位で終了しており、全日本女子シングルス年間ランキングでも10位につける等、既に日本トップ選手の一人となっていた。次のエントリ[ 1990年代 ]
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1990年代

●1993年
プロ転向後最初の年となった1993年は宮内美澄と組んで出場した全豪オープンダブルスで予選繰り上がりとしてグランドスラム本戦初出場。1回戦でジェシカ・エモンズ(アメリカ)&ジンジャー・ニールセン(アメリカ)組に3-6,6-7(5)のストレートで敗れた。シングルスでは2月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント予選を勝ち上がり、本戦1回戦で当時シングルス世界ランク5位、大会第3シードのマルチナ・ナブラチロワと対戦。当時175位の杉山は初のトップ10選手との対戦でフルセットに持ち込む健闘を見せるも、3-6,6-3,3-6のスコアで敗れている。7月にはウィンブルドン選手権で予選を勝ち上がりグランドスラムシングルス本戦初出場。1回戦ではジジ・フェルナンデスと対戦し、6-3,3-6,3-6のフルセットで惜敗した。

●1994年
この年は杉山にとって躍進の年となり、2月のミズノ・ワールド・レディースで自身初のツアーシングルスベスト4に進出すると、4月のジャパン・オープンでは道城まみと組み出場したダブルスで初のツアー優勝を果たす。11月のウィスミラク国際では初のツアーシングルス決勝に進出。決勝ではエレナ・ワーグナードイツ)と対戦し、6-2,0-6のスコアとしたところで途中棄権した。この大会では長塚京子と組んで出場したダブルスでも決勝まで勝ち上がったが、シングルスの棄権によりこちらも試合前に棄権している。この成績により杉山はシングルス年度末ランクを72位とし、初めて年間ランキングトップ100でシーズンを終えた。

●1995年
1995年は長塚と組んで出場した年初のモーリラ・ホバート国際ダブルスで優勝。長塚とは4月のジャパン・オープンでもペアを組んで出場し、準優勝の成績を収めた。シングルスでは5月の全仏オープン1回戦で大会第15シードのヘレナ・スコバを4-6, 6-3, 9-7の逆転で下し、金星を挙げる形でグランドスラムシングルス本戦初勝利を手にすると、そのまま勢いに乗りチャンダ・ルビンとの4回戦まで進出する好成績を残す。ノーシードで出場した10月のバンク・オブ・ザ・ウェスト・クラシックでは2回戦で第6シードのイリナ・スピールリアを下す活躍で2度目のツアー決勝に進出。決勝では当時世界ランク7位、大会第2シードのマグダレナ・マレーバに3-6, 4-6のストレートで敗れた。5度目の出場となった全日本テニス選手権女子シングルスでは全試合ストレート勝ちで圧倒し初優勝。当時杉山のコーチを務めていていた丸山淳一と共に出場した混合ダブルス部門でも全試合ストレート勝ちで優勝し2冠となった。
また7月にはフェドカップ日本代表に初選出。同月22-23日に岐阜メモリアルセンターで行われたワールドグループIプレーオフ、対カナダ戦のダブルスで伊達公子とのペアで起用され、代表デビュー戦を勝利で飾った。

●1996年
1996年は伊達と組んで出場した4月第3週のジャパン・オープンダブルスで優勝すると、翌週のフェドカップ:ワールドグループ1回戦、対ドイツ戦(有明コロシアム)最終試合のダブルスに於いて、長塚京子とのペアでシュテフィ・グラフ&アンケ・フーバー組を4-6,6-3,6-3のフルセットで下し、日本がドイツを破って準決勝に進出する金星を挙げた。このフェドカップ1回戦は、シングルスで伊達公子がシュテフィ・グラフに勝った試合が良く知られるが、杉山&長塚組の勝利なしに日本の準決勝進出はなかったと言っても過言ではなかった。7月~8月に行われたアトランタオリンピックではテニス日本代表として単複両部門に出場。長塚と組んで出場したダブルスでは1回戦でジル・ヘザリントン&パトリシア・ヒー=ブーレ組に6-7(2),6-1のストレートで敗れたが、ノーシードで出場したシングルスでは、2回戦で第15シードのマルチナ・ヒンギス(スイス)を6-4,6-4のストレートで破る活躍でヤナ・ノボトナ(チェコ)との3回戦まで進出した。また11月の全日本テニス選手権ではシングルス、混合ダブルス部門で連覇。吉田友佳と組んで出場した女子ダブルス部門でも準優勝を果たしている。この年の杉山は全日本ランクを2位で終えたが、1位は同年9月に現役を引退した伊達であった為、この時点で実質的な日本女子トップに立った

●1997年
日本人選手トップとなって臨んだ1997年は、シングルスでは年初のゴールドコースト・クラシックで準優勝の好成績を収めると、第4シードで出場した4月のジャパン・オープンでは準決勝で第2シードのキンバリー・ポーを5-7,6-4,6-1で、決勝でエミー・フレイジャーを4-6,6-4,6-4の逆転でそれぞれ下し、4度目のツアーシングルス決勝で初優勝を果たす。更にノーシードで出場した10月のクレムリン・カップでは2回戦で第7シードのブレンダ・シュルツ=マッカーシーを6-4,7-5で、準々決勝で第3シードのアランチャ・サンチェス・ビカリオ6-1,7-6(1)のストレートで下す番狂わせを起こし、決勝に進出。決勝では第1シード、当時世界ランク2位のヤナ・ノボトナに3-6,4-6のストレートで敗れるも、自身初のティアI大会準優勝を果たした。またダブルスではこの年からエレナ・リホフツェワと主にペアを組むことが多くなり、5月のストラスブール国際ではこのペアで準優勝した他、9月のトヨタ・プリンセス・カップではモニカ・セレシュと組んで出場し、単複通じて同大会日本人初優勝を決めている。

●1998年
シングルスでは年初のタルゴ・オーストラリア女子ハードコート選手権から次週のメディバンク国際準決勝まで8連勝のスタートダッシュを切ると、好調のまま臨んだ全豪オープンでは1996年ウィンブルドン以来のグランドスラム4回戦進出を果たす。大会第1シード、ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ4月のジャパン・オープン決勝ではコリーナ・モラリューを6-3,6-3のストレートで下し大会2連覇。またこの年はリホフツェワとのダブルスで更なる躍進を見せ、10月のSEATオープン、11月のスパルカッセン・カップアドバンタ選手権での3週連続優勝を含む年間4勝を挙げる活躍で、年末最終戦チェイス選手権への初出場を決めている。

●1999年
1999年は引き続きリホフツェワとのペアで好成績を収め、メディバンク国際、ストラスブール国際の2大会で優勝。他にも2大会で準優勝の成績を収め、2年連続でチェイス選手権へ出場。また全米オープン混合ダブルスではマヘシュ・ブパシとペアを組んで優勝し、自身初のグランドスラムタイトルを獲得する。
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2000年代

●2000年
杉山はこの年からコーチを丸山からマリー・ピエルスアマンダ・クッツァーらのコーチを歴任してきた南アフリカ共和国のマイケル・デヨングに変えツアーに臨んだ。
ダブルスではこの年から新たにジュリー・アラール=デキュジスと組み、第2シードで出場した全米オープン決勝で第10シードのカーラ・ブラック&エレナ・リホフツェワ組を6–0,1–6,6–1のフルセットで下し、1975年ウィンブルドンアン清村と組んで優勝した沢松和子以来、25年振りのグランドスラム女子ダブルス優勝を果たす。この年は他にもアラール=デキュジスとのペアで4月のマイアミ・マスターズと10月のクレムリン・カップの二つのティアI大会を含むツアー6勝を、またナタリー・トージアとのペアでも1勝を挙げ、年間7勝を記録。この活躍により10月には日本人選手として初めてWTAダブルスランキング1位になり、年度末ランクでも1位でシーズンを終えた。一方シングルスではノーシードで出場した全豪オープン4回戦で、当時世界ランク5位の第4シードマリー・ピエルスを7-5,6-4のストレートで下し、自信初のグランドスラムシングルスベスト8進出を果たす。また全仏オープンでも5年振りに4回戦に進出した。しかしこれ以外では2月のステート・ファーム・クラシックでベスト8に進出した他は全てツアー1~2回回戦負けに終わり、2度目の出場となったシドニーオリンピックでも、第14シードで出場したシングルスは1回戦でエレナ・ドキッチに0-6,6-7(1)で、宮城ナナとのペアで第4シードとして出場したダブルスも2回戦でタイベンジャマス・サングラム&タマリン・タナスガーンに6-2,5-7,2-6のフルセットで敗退する等、シングルスでスランプに陥る。杉山は後のインタビューでこの頃を振り返り「あの時の私はダブルスばかり戦績が出て、日曜日まで勝ち残るのに、シングルスでは負けが続き、トーナメントの過ごし方が分からなくなっていた。自分のテニスを見失い、それこそ私の打ち方どうなっているの?というレベルまで落ちてしまった。周りの選手達が25~6歳で辞めていった時期でもあり、尚更私はどうなっていくのか」と悩んだという。コーチとの関係も上手く行かなくなり、キャリアで初めて壁にぶつかったと感じた杉山は、米国遠征中に母芙沙子に電話をかけ「もうテニスを辞めたい」と涙ながらに弱音を吐く程追い詰められていた。しかし、この電話を切っ掛けに話し合いの末、シーズン終了後からデヨングに代わり芙沙子がコーチを務める事が決定し、親子二人三脚のツアー転戦が始まる事となる。

●2001年
芙沙子がコーチに就任して最初の年となった2001年はダブルスでニコル・アレントと組んでシーズンを戦う。アレントとのペアで出場した全豪オープンダブルスは準決勝に進出。ツアーでもキャンベル国際インディアンウェルズ・マスターズで2勝を上げるなど好調であったが、3月のマイアミ・マスターズを最後にペアを解消。その後単発で数人の選手と組むもペア固定とまでは行かずツアー1~2回戦負けが続いた。しかし第4シードとして出場したウィンブルドン選手権で、前年のアキュラ・クラシック以来2度目のペアとなったキム・クライシュテルスとのダブルスが成功し、準決勝で第1シードのリサ・レイモンドレネ・スタブス組に3-6,7-5,6-2のフルセットで勝利する活躍で同部門2年連続の決勝進出を果たす。決勝では第8シードのビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ組にストレートで敗れるも、後に本格的に固定ペアとしてツアーを回る切っ掛けとなった。一方シングルスではアキュラ・クラシック2回戦で当時世界ランク5位のクライシュテルスをストレートで下すなどの活躍も見られたがシーズン全体では前年に続き低調な成績が続き、年度末ランクも30位と前年より2ランク上げるに留まった。母芙沙子は当時を振り返り「コーチと選手の関係になってからの1年はお互いが選手とコーチとして自立するのに時間が掛かり葛藤があった」とお互いに戸惑いがあったとしながらも「あの1年があって愛の長い競技人生に繋がったと思う」と述懐している。

●2003年
2003年はシングルス・ダブルス共にキャリア最高の成績を収めることとなる。
2~3月にアメリカのスコッツデールで行われたステート・ファーム・クラシックでは、2回戦でリンゼイ・ダベンポートをフルセットで破り、勝ち上がる。しかし前日の雨の影響でシングルス・ダブルスの準決勝・決勝を最終日に行うという過酷な日程を強いられる。まず、シングルスの準決勝では、相手にマッチポイントを3回握られながらも、6-7,7-5,7-6(7)と2時間を越える激戦を逆転で制し、決勝ではキム・クライシュテルスを3-6,7-5,6-4と再び逆転で破り、シングルスでまず優勝を果たす。その後、シングルスの決勝を戦ったクライシュテルスとのダブルスでは準決勝、決勝共にストレート勝ちで単複2冠を果たした。なおこの大会でのシングルスのタイトルが杉山にとって最もグレードの高いシングルスのタイトルである。

その後ダブルスではキム・クライシュテルスと名コンビぶりを発揮し、全仏オープンウィンブルドンでは共に第1シードのビルヒニア・ルアノパスカルパオラ・スアレス組を破り、4大大会2連勝を達成し、ダブルスランキング1位に返り咲く。

シングルスでは、10月にリンツオーストリア)の大会でも優勝し、2003年はシングルスで2度優勝を果たす。
更に、11月には、年間獲得ポイント世界上位8名によるWTAツアー選手権に初めて出場し、グループリーグでアナスタシア・ミスキナに4-6,3-6で、ジェニファー・カプリアティに5-7,6-7(3)のスコアでそれぞれ敗れたが、第2戦の当時世界ランク1位であったジュスティーヌ・エナン・アーデンを6-2,6-4のスコアで破り、大会後の最新ランキングではで自己最高のシングルス世界ランク10位に上昇、伊達公子(自己最高ランキングは1995年の4位)以来2人目のシングルストップ10入りを果たした。翌2004年2月には世界ランキング8位となり、自己最高位を更新している。

しかし、クライシュテルスがシングルスに専念するため全米オープンを途中棄権するなどし、その後のWTAツアー選手権を最後にペアを解消する。

●2004年
杉山は再びパートナー探しに悩み、2004年はリーゼル・フーバーと組んだ。その後、急遽エレナ・デメンティエワをパートナーに指名したが、このコンビは臨時の組み合わせであった。

●2006年
その後ダニエラ・ハンチュコワと組み、2006年の全仏オープンで決勝に進出したが、リサ・レイモンド&サマンサ・ストーサー組に敗れて準優勝になった。

●2007年
2007年の全仏オープンでも、カタリナ・スレボトニクとのコンビで決勝に進出したが、アリシア・モリク&マラ・サンタンジェロ組に敗れ、2年連続の準優勝となった。続くウィンブルドンでもスレボトニクと組み、リーゼル・フーバー&カーラ・ブラック組との決勝に進出したが、こちらも準優勝に終わっている。

●2009年
2009年の全豪オープンでは、久々にハンチュコワとのペアを復活させて初の決勝戦に進出する。女子ダブルスのキャリア・グランドスラムがかかった決勝戦では、ビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹組に3-6,3-6で敗れた。後述する杉山の引退により彼女の女子ダブルス「キャリア・グランドスラム」は叶わなかった。

●オリンピック
杉山はテニス競技のオリンピック代表としても、1996年アトランタ五輪から2008年北京五輪まで4大会連続で出場している。過去の最高位は2004年アテネ五輪での女子ダブルス4位で、パートナーは浅越しのぶと組んだ。杉山と浅越は、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」でアルゼンチン代表のパオラ・スアレス&パトリシア・タラビーニ組に3-6,3-6のストレートで敗れ、テニス日本代表としてのオリンピック史上初メダルを逃した。
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出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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[2012/2/15 9:09更新]
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