讀賣テレビ放送
'''讀賣テレビ放送株式会社'''('''読売'''テレビ放送とも表記。よみうりテレビほうそう、英称:YOMIURI TELECASTING CORPORATION)は、大阪府大阪市に本社を置く民間テレビジョン放送局。日本テレビ系列(NNNネットワーク・NNS)の準キー局。放送対象地域は近畿広域圏(大阪府・京都府・兵庫県・滋賀県・奈良県・和歌山県)。通称は'''読売テレビ'''、略称は'''ytv'''。キャッチフレーズは'''「ウキウキわくわく ytv」'''。
本社などの所在地
2005年3月末日現在の主な株主
括弧内は、持株比率を示す。● 日本テレビ放送網株式会社 (11.59%) ※1
● 株式会社読売新聞グループ本社 (10.78%)
● 讀賣ゴルフ株式会社 (10.23%) ※1
● 野村土地建物株式会社 (7.98%)
● 野村ホールディングス株式会社 (5.00%)
● 株式会社UFJ銀行 (4.00%) ※2
● 株式会社三井住友銀行 (3.60%)
● 株式会社りそな銀行 (2.70%)
● 株式会社みずほコーポレート銀行 (2.40%)
● 株式会社読売新聞大阪本社 (2.01%)
沿革
開局までの経緯
日本テレビ放送網(以下、日本テレビ)は1953年、東京での開局に先立ち、大阪にも放送免許の申請を郵政省に提出した。しかし、当時の大阪地区の割り当て電波は2波しかなく、NHK大阪放送局と大阪テレビ放送(OTV。現・朝日放送)の2局に免許が与えられ、"日本テレビ大阪放送局"の免許は却下された。却下の理由は'''「日本テレビは東京地区を代表するもので、これが大阪で電波を出すのは"越境"である」'''というもの。日本テレビを率いる正力松太郎は、大阪の他札幌・名古屋・福岡にも同局の地域放送局を設立する事を郵政省に申請したが、これも大阪と同じ理由で却下された。大阪では、その当時に読売新聞が大阪に進出したばかりで、朝日新聞、毎日新聞などと販売競争で激しく競い合った。大阪テレビ放送は朝日新聞・毎日新聞と朝日放送・新日本放送(現・毎日放送)によって設立されたテレビ局である事から、当時の大阪讀賣新聞社(現・読売新聞大阪本社)社長・務臺光雄は「両紙を相手に部数を伸ばすには、自社系列のテレビ局を持つ事が必要」と確信し、読売側も大阪讀賣新聞社を中心に関西の財界などの出資によるテレビ局を作ろうと決心。務臺が発起人代表となって、財界から発起人集めを行った。
放送局の社名は'''「新大阪テレビ放送株式会社」'''(略称:'''NOTV'''='''New Osaka Television'''。'''『ノーテレ』'''と呼ばれた)とし、1957年2月に設立の発起人総会を実施。社屋は大阪市北区岩井町(現・東天満)の東本願寺天満別院跡地に建設された。1956年10月に放送免許の申請を郵政大臣に提出した。そして、1957年10月に'''準教育局'''として新大阪テレビ放送に予備免許が交付(第10チャンネル、JOIX-TV)された。1958年2月12日に創立総会を行い、同年8月1日に社名を「新大阪テレビ放送」から'''「讀賣テレビ放送株式会社」'''(略称・YTV、愛称・よみうりテレビ)へ変更、同月28日にOTVにネットされていた日本テレビの番組を完全移行させる形で近畿地区では2局目の民放テレビ局として開局した。読売テレビの開局でこれまでOTVのクロスネット政策のため近畿地方に流れなかった日本テレビ番組のスポンサーの不満が解消し、読売新聞の西日本での部数増に大きく貢献した。次のエントリ
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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