11世紀
'''11世紀'''(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、西暦1001年から西暦1100年までの100年間を指す。世界
11世紀は、西アジアで'''トルコ系のイスラム王朝'''のガズニ朝やセルジューク朝の台頭が著しく、前者は北インドに侵入し'''インドのイスラム化'''の契機をつくり、後者は東ローマ帝国を打ち破って、小アジアにまで勢力を伸ばした。北アフリカのモロッコ近辺ではムラービト朝などベルベル人のイスラム王朝の台頭が始まって、レコンキスタを停滞させる一方、サハラ交易で繁栄したガーナ王国を滅ぼした。東ヨーロッパでは東ローマ帝国が第一次ブルガリア帝国を征服してバルカン半島全土を回復して最盛期を迎えるが、11世紀後半に入ると衰退に転じ、国内の反乱やセルジューク朝、ノルマン人などの外敵に悩まされることになる。西ヨーロッパでは'''教皇権が伸長'''する一方、'''東西教会の分裂'''が起こっている。また、東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスがローマ教皇ウルバヌス2世に救援を依頼したことが発端で、'''十字軍の遠征'''が開始された。
東南アジア、南インドでは、1025年を境にシュリーヴィジャヤの衰退と、チョーラ朝、クディリ王国が全盛を極めた。東アジアでは、北宋の経済的繁栄は続くものの、遼や西夏への歳幣の負担と社会的格差の進行が重くのしかかり、王安石の改革が始まった。次のエントリ
日本
平安時代中期から後期の初めにあたる。院政の開始以降を中世に区分する場合がある。11世紀の前半から中葉にかけては、藤原北家による'''摂関政治'''が全盛を極めたが、地方では国司苛政上訴が行なわれ、小領主の有力武士が台頭していた。名目的な寄進荘園に課税するなど税の公平さを保つために荘園整理令が行なわれた。11世紀の後半になると藤原氏の力が及ばない後三条天皇の親政が契機となり、'''院政'''がはじまった(院政時代)。荘園公領制はこの院政期を通じて発展していくことになる。次のエントリ
できごと
----
世界
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
別のワードで検索!
トレンドマガジン [マグゥ]で11世紀を検索






1月1日は新年か? 正月って本当はいつ? どうして「あけおめ!」か? 2011年をあなたの主の年に! 6/8