マス・メディアと視聴者との信頼関係
TBSが一転してビデオを見せたことを認めた1996年3月25日、TBSの看板番組『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターを務める筑紫哲也は当日の番組内で、マス・メディアが視聴者との信頼関係の上で存在していることに触れ'''「TBSは今日、死んだに等しいと思います。……今日の午後まで私はこの番組を今日限りで辞める決心でおりました」'''と発言した。この発言も大きな反響を呼んだ。相次ぐ波紋と批判
一方で、世論のTBS批判や「TBSがビデオをオウム幹部に見せたことで坂本が殺害された」という非難に対しては「坂本はそれ以前にラジオに出演し、麻原と電話での討論を行っており『TBSが見せたテープの内容が殺害の直接の動機となったのではないか』との報道は妥当性を欠いている」との反論や「TBSバッシングに興じることで(報道倫理としての)問題の本質を見逃してしまう」とする異論があった。また、これらの批判が行き過ぎ、批判の対象が殺害実行犯のオウム真理教からTBSに移ってしまったことで、一連のオウム事件そのものへの真相究明がおろそかになったとの意見もある。被害者の遺族は、後日以下のような形でTBSに不満を表明した。次のエントリ
番組の大幅改編
TBSはかつて「キー局の雄」や「民放の雄」(『8時だョ!全員集合』や『水戸黄門』、『ニュースコープ』、『クイズダービー』などの人気番組が多かった)などと言われたが、1980年代後半から1990年代にかけて、社内の人員構成の高齢化などで番組編成の改革に遅れが生じ、日本テレビやフジテレビに視聴率を奪われ、TBSは視聴率の全体的な低迷に陥っていた。殊に平日正午台は『新伍のお待ちどおさま』を除いていわゆる「'''死に枠'''」と揶揄された。また平日夜10時にテレビ朝日『ニュースステーション』に対抗すべく夜10時にニュース番組を設けるが視聴率不振で2年で撤退した(『ニュース22プライムタイム』『ニュースデスク'88・'89』)。更に、社長の意向で『クイズ100人に聞きました』や『ギミア・ぶれいく』などの人気番組を打ち切って始めた『ムーブ』も失敗していた。しかし一方でワイドショー番組『モーニングEye』、『3時に…』の後番組『スーパーワイド』、朝の番組『ビッグモーニング』→『ザ・フレッシュ!』、夜の番組『ブロードキャスター』、『スペースJ』が高視聴率を得ていた。こうした状況下でビデオ問題が発覚したのである。結局、1996年6月の中途改編以降、編成・組織の改革を行う事になる。次のエントリ
報道系ワイドショー一斉打ち切り
1985年に発生したテレビ朝日『アフタヌーンショー』の「やらせリンチ事件」以上の、放送界最大の事件となったこの問題でTBSは社会的非難を浴び、各ネット局にも大きな打撃を与え、当時放送中であった報道系ワイドショー番組を打ち切ることで、報道との線引きが曖昧であったとの指摘を受け、いわゆる「報道系ワイドショー」といわれる番組からの撤退を表明する。TBSは1996年6月と10月に改編を実施した。しかし、後番組の『おはようクジラ』・『素敵なあなた』および正午枠は視聴率が悪く、リニューアル・打ち切りが繰り返されることになる。その後、1998年に始まった『ジャスト』ではトレンド情報を充実させ、2000年に始まった『ベストタイム』では家事や家計、部屋のリフォームなどをテーマに置いたことで、視聴者から好評を得るようになった。一方で『ジャスト』が正式に芸能ニュースを扱ったことや、『ベストタイム』は番組主体でニュースをワイドショー的演出で紹介するなど、従前の定義による「報道系ワイドショー」の事実上の復活と捉えることができる。次のエントリ
深夜放送自粛
不祥事による自粛措置として5月20日から24日までの5日間テレビの深夜放送を取りやめたほか、この期間は『NEWS23』の放送を第1部のみに短縮した。尚、ラジオの深夜放送は通常通り行われた。この他、地方局では、TBSの深夜番組をネットせずに、『痛快!明石家電視台』(本来は関西ローカル)などMBSの番組をネットするケースも見られた。次のエントリ出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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